▲(日本による植民地支配からの解放を記念する)光復節だった8月15日、ソウル市鍾路区の東和免税店前で行われた「文在寅(ムン・ジェイン)政権糾弾集会」の様子。野党・国民の力の朴大出(パク・デチュル)議員が今月4日の青瓦台国政監査でこの写真を見せると、盧英敏(ノ・ヨンミン)大統領秘書室長は「光化門集会の主導者たちは殺人者」と言った。写真=聯合ニュース

 「泥棒ではなく殺人者です、殺人者。この集会の主導者たちは!」

 盧英敏(ノ・ヨンミン)大統領秘書室長が今月4日に目をむきながら叫ぶ姿をテレビで見て、ソ連のパブリク・モロゾフと中国の紅衛兵チャン・フンビン、脱北者の申東赫(シン・ドンヒョク)、そして釜山のある女子中学生のことを思い出した。「これらの少年・少女たちはこうしたムードの中で人倫に背くことをしたのだな」と。

 1932年のスターリン時代、ソ連共産党は農民たちの収穫物を厳しく収奪した。農民は生きていくために自分たちの食糧を隠した。共産党はそうした農民たちを「ソビエトの敵」と規定して通報するよう奨励した。モロゾフの父親は村のソビエト(評議会)議長だったが、家族を養うためには仕方なくそうしていたようだ。13歳のモロゾフは父親を政治警察(GPU)に通報した。父親は労働収容所に送られ、処刑された。激怒したモロゾフの祖父と祖母、叔父、いとこは彼を殺害した。政治警察はモロゾフを殺害した親族のうち、叔父を除く全員を銃殺した。

 1970年に文化革命の嵐が吹き荒れた時、16歳の紅衛兵チャン・フンビンは母親パン・ジュンモウを「反革命罪」で告発した。母親の手帳から「高貴な者が最も愚鈍で、卑しい者が最も賢い」という文言を発見したのが発端だった。チャン・フンビンは「偉大な指導者・毛沢東主席をさげすむのか」と真顔で母親を批判し、口論の末、母を通報した。トラックに載せられて連れて行かれたパン・ジュンモウは2カ月もたたないうちに処刑された。

 申東赫は北朝鮮の政治犯収容所に収容された経験のある脱北者だ。家族が収容されていた場所が14号収容所なのか18号収容所なのか証言が変わって騒動になったが、14歳の時に母親と兄の脱走企図を看守に通報したという証言だけは変えなかった。母親と兄は6カ月後に公開処刑された。

 独裁国家や全体主義体制は家庭や人倫すら破壊する。偉大な指導者、ソビエトの栄光は絶対的価値であり、不可侵の対象だ。これ犯した親、兄弟姉妹も容赦なく通報と報復の対象となる。「新型コロナ独裁」という言葉が時折聞かれる韓国でもそうしたことが起こっている。2カ月前、釜山のある女子中学生が口論の末、自己隔離命令に違反して家の外に出た母親を警察に通報した。政府の防疫指針に違反した集会を主導したとして「殺人者」呼ばわりされる世の中なのだから、カッとなった10代の女子中学生にとって新型コロナ防疫は母親よりも重い「偉大な指導者」であり、「ソビエトの栄光」だったのかもしれない。

 問題は、その新型コロナ防疫の基準が「ネロナムブル(私がすればロマンス、他人がすれば不倫=身内に甘く、身内以外に厳しいこと)」であることが次々と明らかになっている点だ。広場は政治的友軍であるのか、それとも批判勢力であるのかによって開放されたり、閉鎖されたりする。その基準によって開天節(10月3日)にソウル市内の光化門広場は閉ざされ、全国民主労働組合総連盟(民労総)の集会があった同市内の汝矣島公園は開放された。

 青瓦台経済首席秘書官は「8・15集会は国内総生産(GDP)を0.5ポイント減少させた」と主張した。消費クーポンをばらまき、「コリア・セール・フェスタ」を開催して人々が集まる活動を奨励した政府の政策の過ちはスルーし、8・15集会を言い訳にして国民を二分し、批判勢力・政敵を悪魔化する。ソウル市防疫管制官だという人物は、一日300人以上も新規感染者が出ている最近の感染再拡大が3カ月前の光復節集会のせいだと言った。根拠と因果関係は提示していない。防疫科学には言及せず、詭弁(きべん)と陰湿な攻撃を吐き出す。防疫ではなく、政治をやっている。

 このまま行けば、近いうちに一日の新規感染者が600人、いや1000人になると言われている。防疫でネロナムブルをはばかることなく強行している現政権は、また何をやらかすか分からない。防疫が全体主義まがいの恐ろしい世の中を作りつつあるのではないかどうか、しっかりと警戒していかなければならない。

チョ・ジュンシク副社長兼社会部長

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