白血病を乗り越えた日本の女子競泳選手・池江璃花子(20)が7月の東京五輪に出場することになった。わずか2年前、生と死の岐路に立たされた選手が復活というドラマの主人公になったのだ。東京五輪の競泳競技が行われる東京アクアティクスセンターがその舞台だった。

 池江は4日、五輪代表選考会を兼ねて行われた競泳日本選手権女子100メートルバタフライ決勝で57秒77を出して1位になった。日本水泳連盟が定めた同種目の五輪派遣記録(57秒10)には及ばなかったが、400メートルメドレーリレー(4人が背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライ・自由形の順にリレーする競技)の選抜基準(57秒92)より速かった。

 電光掲示板に表示された記録を見て五輪出場権を得たことを確認した池江は手で水面をたたき、拳を見せて歓声を上げ、泣き出した。白血病から回復後、水泳の基本から練習を始めて1年余りで表彰台の一番上に立てるとは予想していなかったからだ。池江は場内のマイクを持ってインタビューを受けている時も、涙声で「今すごく幸せ。すごくつらくてしんどくても、努力は必ず報われるんだなと思った」と語った。

 池江は満19歳の誕生日まであと5カ月だった2019年2月、重病にかかったことが分かった。オーストラリアで合宿をしていた時、突然体に異常を感じて帰国したが、診断の結果、急性リンパ性白血病と診断されたのだ。

 「国民的スター選手」が病に倒れたというニュースに日本中が衝撃を受けた。池江は中学生の時、既に日本のトップ選手として注目されていた。高校1年生だった2016年にリオデジャネイロ五輪に出場、バタフライ100メートルで5位(56秒86)になった。2018年のジャカルタ・パレンバン・アジア大会では6冠に輝き、女子選手としては史上初のMVP(最優秀選手)に選ばれた。同年のパンパシフィック選手権バタフライ100メートルでは日本新記録で金メダル(56秒08)を手にした。池江は同年、自身が持つ自由形50メートル・100メートル・200メートルなどの日本記録もすべて更新し、2020年東京五輪のメダル有望株として期待を集めた。

 しかし、勢いに乗っていた池江は、白血病という病魔と戦わなければならなくなった。抗がん剤治療を受ける間に髪の毛が抜け、毎日何度も襲ってくる吐き気に苦しんだ。副作用や合併症が続いたが、峠を越えた。2019年夏に造血幹細胞移植を受けて状態が安定し、その年の12月に退院するという小さな勝利を上げた。そして3カ月後の2020年3月に水泳を再開した。東京五輪出場は現実的に無理だと思い、4年後の2024年パリ五輪を目指した。

 このころ、東京五輪が新型コロナウイルス感染拡大で1年延期された。池江は体力回復に努めた。「一日3食、食べること」を目標に、闘病期間中に約15キログラム減った体重を少しずつ増やした。昨年7月には東京・国立競技場に聖火が入ったランタンを手に登場、世界に希望のメッセージを伝えた。

 池江は昨年8月の試合で復帰し、実戦の感覚を取り戻し始めた。今年2月7日の競泳ジャパン・オープン女子自由形50メートルでは2位になった。白血病の診断を受けて2年で挙げた成果だ。試合翌日、池江は病院のベッドに横たわっている2019年2月8日の写真を写真共有ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)「インスタグラム」にアップロードした。人生最悪だった日を振り返り、新たな覚悟を固めるためだった。それから2カ月後、東京五輪出場権獲得という奇跡を起こした。

 国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長はSNS「ツイッター」に「オリンピアンたちは決してあきらめない。東京で会えるのを楽しみにしている」というお祝いのメッセージを送った。安倍晋三前日本首相もツイッターに「感動と勇気をありがとう」とツイートした。池江は自由形100メートル(決勝8日)と50メートル(決勝10日)に出場し、さらなる五輪出場権獲得に挑む。

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