「左手を見せて、右手で勝負した」

 それなりの数のスポーツ取材現場に行ってきたが、こういう武侠漫画のような「得点後の感想」は初めてだった。「肉を切らせて骨を断つ」ような感じだというべきだろうか。耳にした時、ふと漫画『スラムダンク』の名セリフ「左手はそえるだけ」を思い出した。

 これは斗山ベアーズの安権守(アン・グォンス、28)が23日、NCダイノス戦で絶妙なスライディングにより得点を決めた瞬間を振り返って語った言葉だ。

 それは斗山が2-0でリードしていた7回裏。状況は次の通りだった。

 安権守は足が遅いホセ・フェルナンデスに代わって代走で二塁にいた。キム・ジェファンが打ったゴロはNCの守備シフトに引っかかった。普通、二塁手が立つ位置よりかなり後ろに立っていたチ・ソクフンがこれつかんで軽く一塁に投げ、キム・ジェファンはアウトになった。

 しかし、安権守はその一瞬のすきを逃さなかった。三塁で止まらず、そのままホームに駆け込んだのだ。NCの一塁手イ・ウォンジェは慌ててホームに球を投げた。

 タイミングではアウトに見えた。安権守は左腕を真っ直ぐ伸ばしてヘッドスライディングを試みた。

 しかし、これは「釣り」だった。安権守は瞬間的に左腕を引っ込め、NCのキャッチャー梁義智(ヤン・ウィジ)のグラブを避け、右手でホームベースにタッチした。

 まるで全盛期の李鍾範(リー・ジョンボム)=元:中日ドラゴンズ、起亜タイガース=を思わせる魅惑のスライディングだった。

 思わず「釣り」に引っかかってしまった梁義智はむなしそうな表情を浮かべていた。NCはビデオ判読を申請したが、結果は原審通りセーフだった。

 このシーンを描写した安権守の冒険談を聞いてみよう。

 「二塁で相手の守備位置を確認し、いざと言う時はホームに突っ込むと決めました。不規則なバウンドなど予期せぬ事態が発生するからです。三塁に向かって走った時、(コ・ヨンミン)コーチが腕をぐるぐる回していたので、自信を持ってホームまで走りました。アウトのタイミングでしたが、ボールが飛んでくるのを見た瞬間、相手に左手を見せ、右手で勝負しようと思いました」

 斗山の金泰亨(キム・テヒョン)監督は試合後、安権守の好判断による走塁プレーを賞賛した。

 大勢のファンの目の前で名場面を生み出してくれた安権守とはどんな選手なのだろうか。安権守は埼玉県出身の在日韓国人3世で、日本名は安田権守(やすだ こんす)だ。

 日本野球ファンたちは、彼の名前は覚えていないとしても、「腕立て王子」と言えば「あ~、あの選手か」と気付くかもしれない。

 早稲田実業高校在学時代の2010年、安権守は全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)で打率4割(15打数6安打)を記録、チームをベスト4まで導いた。当時、柔らかな打撃をするために腕の力を抜くとして、ネクストバッターズサークルで「腕立て伏せ」をする姿が取り上げられ、「腕立て王子」と呼ばれるようになった。

 名門の早稲田大学に進学したが、1年足らずで個人的な理由により野球部をやめた。それでもグラブは手放さなかった。

 専用球場一つない独立リーグチーム武蔵ヒートベアーズでプレーしていた時、中日ドラゴンズ入団説まで浮上したが、夢を果たせなかった。2016年に早稲田大学社会科学部を卒業した安権守は結局、日本の社会人野球団カナフレックスでプレーを続けた。

 球よりコンクリートと格闘する時間の方が長かった時代だった。安権守は地面の下にパイプとパイプをつなぎ、電気が流れるようにするコンクリートパネルを作る仕事を主にしていた。

 午後1時に始まる工場の仕事は午後8時半にやっと終わる。暗くなった空を見て会社を後にすると、夜が明けるまで球を握った。

 野球の練習は午前7時半から。常に睡眠時間は足りなかったが、「継続は力なり」という言葉を繰り返しながら苦労に耐えた。

 あきらめなかった安権守は、2020年シーズンの韓国プロ野球(KBO)ドラフトでほぼ最後の第2次10周目の99位で指名を受け「コリアン・ドリーム」に向かって第一歩を踏み出した。

 安権守は「祖父や父がそうだったように、韓国人として生まれ、韓国人の矜持(きょうじ)を持って生きてきた。日本に住んでいても、国籍を変えると考えたことはなかった。こうして韓国でチャンスを手にすることになった」と喜んだ。

 安権守は昨年、春キャンプの新人体力テストで、自分よりも6-7歳若い同期たちを抑えて1位になり注目を浴びた。そして、守備と走塁の実力を認められて、一軍入りした。昨年の記録は68試合出場で打率2割7分、10安打3打点。今季は4試合出場で忘れられない名シーンを生み出した。

 紆余(うよ)曲折の多い野球人生だったが、今年1月には結婚式を挙げ、「人生のホームラン」を放った。妻の宮谷優恵さんは日本の元モデルでアイドルでもあった。アイドルグループ「アキシブproject」のリーダーを務め、2013年から2019年まで活動していたという。

 昨年の本紙インタビューで、安権守は自身の野球哲学について次のように語った。

 「何としてでも試合に出てし、何としてでもホームプレートを踏まなければならないというのが私の野球哲学です。野球を始めた時から今までずっとそうでした」

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