【新刊】W・デービッド・マークス著、パク・セジン訳『アメトラ』(ワークルーム・プレス刊)

 日本でジーンズは第2次大戦直後に紹介された。基地の町の女性らは、米軍から現金代わりに受け取った古着を闇市に出して売った。「ジーパン(G・I・パンツ)」と呼ばれた、この色あせた青いズボンは、仕入れ値の数倍近い価格であっても売り場に持ち込まれるなり飛ぶように売れた。綿素材なので、当時ほとんどの男性が身に着けていた毛織りのズボンよりも日本の気候にずっと合っていた。カーキ色をした「国民服」の波の中で、青い色は断然目立った。

 最初の日本製ジーンズは1965年、Maruo Clothingが発売した「CANTON」だ。しかし、ごわごわした「新しいジーンズ」は人気がなかった。800円するCANTONより、1400円する米国の古着ジーンズの方が何倍もよく売れた。それから50年。今やファッションの専門家らは「最高の『本物の』ジーンズは日本で作られる」と語る。「日本のブランドは米国よりも上出来なアメリカン・スタイルのファッションを作り上げた」とも主張する。実際、このところニューヨークのプラグマティックでファッションに目ざとい人々は、GAPよりもユニクロの方を好む。

■世界最高の国ランキング7位は米国、韓国は20位、日本は?

 「アメトラ」とは、「アメリカン・トラディショナル」の略語だ。本書は、米国のファッションが日本に輸入され、各種の紆余(うよ)曲折を経つつ耐え抜き、逆輸出されて「元祖」と張り合うまでの過程を追った。

 1960年代の日本の若者にとって、「アメリカン・スタイル」は「自由」の象徴だったが、上の世代はこれを「改革」の対象と見なした。東京五輪開幕まで残り1カ月を切った1964年9月12日の夜、東京。私服警官およそ10人が銀座の通りで、米国アイビーリーグの大学生のようなボタンダウンシャツにチノパンという「アイビールック」をして髪を七三に分ける「ジョン・F・ケネディ・カット」スタイルの、10代の若者およそ200人を逮捕した。若者たちは放課後、金色のボタンが付いた黒の「学ラン」を脱ぎ捨て、米国式の服を着て解放感を満喫していたが、当局は奇妙な服装をしたこの「反抗児」たちの姿を、銀座を訪れる外国の客に見られたくなかったのだ。

 ファッションについてあまり知らなくても、文化史的側面から興味深く読むことができる一冊。日本文化の研究者である著者はハーバード大学で東アジア学を勉強し、慶応大学でマーケティングおよび消費者行動学の修士号を取った。日本題は『AMETORA 日本がアメリカンスタイルを救った物語』。384ページ、2万ウォン(約1900円)。

クァク・アラム記者

ホーム TOP