▲マッコリ(韓国の濁酒)の瓶で再現したあの日…4日、東京都内で会ったG.G.佐藤さん。2008年北京五輪野球競技の準決勝・韓国対日本戦の8回裏で凡フライを落としたエラーの場面を再現してくれた。野球のボールがなくてマッコリのボトルを代用した。ユニホームは13年前に着ていたものだ。写真=東京ヤン・ジヘ記者

「あの日の失敗が私を立ち上がらせた」G.G.佐藤さんの愉快なインタビュー

-今大会では日本が金メダルを取るでしょうか?

「まだ分からないですね。韓国と決勝で再び対戦する可能性もあるので(訳註:本紙記事入力は8月5日の韓米戦前)。韓国の選手たちは国際試合で本当に強いです。兵役免除のためという説明でも説明しきれない、ものすごい勢いがあります。日本もそのような点は学んでほしいと思います」

-近況が気になります。

「いろいろな仕事をしています。(父親が経営している)敷地調査会社の副社長をしながら、タレントのように番組に出演しているほか、ドラマで演技をしたこともあります。『失敗学』の講義もしています。失敗について誰よりもよく知っていますから」

-野球もしていますか?

「解説者としての活動も続けているし、社内の野球チームでもプレーしています。取引先のチームと試合する時は、フライをわざと落とすこともあります。そうすると、相手チームが『G.G.やっぱり最高。また落とすなんて、よくやった!』と非常に喜んで契約してくれます。営業でボールを落としているということです」

-今はこのように笑っていらっしゃいますが、2008年は非常につらかったと思います。

「言葉にできないくらいつらかったです。さっき日本が勝って、私が泣いたのを見ましたか? 本当につらかったです」

-わざと面白くするために泣いたのではないのですか?

「絶対にそうではありません。事実、あの時は死にたいと思いました。家族も大量の取材と脅迫で苦しめられました。『死んでしまえ』という脅しもたくさん言われました」

-その時の挫折を乗り越え、再び立ち上がった秘訣(ひけつ)は何ですか?

「そうですね…。難しい質問ですね。実はまだ克服できていません。今でも非常に悔しいです。心の中では、今日の金賢洙のように自分が選手としてプレーして、韓国を破りたかったです。今日、日本が勝っても、私はまだ悔しいです。おそらく死ぬ時まで忘れられない記憶となるでしょう。しかし、そのおかげで親切な人間になりました。社員が失敗しても理解してやることができます。失敗した人間が感じる苦しみを誰よりもよく知っていますから」

-「失敗学の講義」もしていらっしゃるそうですね。

「『失敗してもOK』というテーマで時々しています。『生きていれば、人生は成功よりも失敗の方が多い。失敗は悪いことではなく、時には避けることもできない。これをどう受け入れるかが重要だ』という内容です。私は北京で非常に大きな失敗をしましたが、それを受け入れたから、今日野球の解説もしたし、韓国の新聞社から取材も来てくれたじゃないですか。失敗というのは悪いことばかりではありません。皆さん!」

-どうして北京五輪に出場することになったのですか?

「実は私は五輪に出られるなんて思っていなかったんですが、2008年のシーズン初めは絶好調でした(当時、公式戦前半で本塁打を20本以上打っていた)。だから選ばれたんですが、準備不足だったのでエラーを…。五輪は次元が違う舞台でした。特に韓国戦はとても緊張しました。韓国にはすごい選手が多かったんです」

-その時の韓国の選手たちを全員覚えていますか?

「もちろん、二塁手の高永民さんは絶対に忘れられないでしょ! 私は彼のボールを落として…(笑)。高永民さん、最近お元気ですか? 一度会いたいですね!」

-日本の野球人気はどうでしょうか?

「日本も野球の人気は以前ほどではありません。だから今回、野球で金メダルを取ってほしいです。私が『G.G.バブル』で韓国の野球を復活させたので、今度は日本の野球にバブルを起こさなければならないでしょ(笑)」

-韓国に行ったことはありますか?

「一度もありません。新型コロナが収まったら、行ってみたいと思います。韓国の皆さん、G.G.佐藤が行ったら歓迎してください!」

東京=ヤン・ジヘ記者

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