▲デザイナー ユ・ヨンギュ氏/ナム・ガンホ記者

 あらゆるジャンルにコリアの「K」という文字を付け、自己陶酔する韓国社会に愛のむちが振り下ろされた。デザイナーのユ・ヨンギュ氏(51)。その名前よりも彼の手によって誕生した商品の数々の方が親しみがある。1990年代末にアルミニウムケースで「アジョシフォン」(おじさんフォン)のイメージを変えたサムスン「カクトゥギフォン」、2007年に高齢者向け携帯電話という逆発想を生かしたLG「ワインフォン」、ミッキーマウスの形状のアイリバー「Mプレーヤーアイズ」--。米ナイキ本社のデザイナー、マイクロソフト(MS)本社のクリエーティブディレクターまで務めた。

 経歴も異色だ。留学経験もなく、済州大産業デザイン科卒業で、デザイン系の名門であるソウル大、弘益大出身ではない。最近流行している「サブキャラクター」を10年以上前から持っていた。職場に通いながら、2010年から独立スタジオ(クラウド・アンド・コー)を運営。ウォルト・ディズニー、エアビーアンドビーなど世界的に有名な企業と協業した。

 順調だったユ氏は2017年、最高の待遇提示を断り、MSを退社し、フリーランスになった。理由は「韓国のデザインを知ってもらいたいから」だった。盲目的な愛国主義に陶酔するなと言う彼の心をつかんだのが愛国心だったとは意外だ。記者はソウル・延禧洞の住宅の屋上を改造したユ氏のオフィスを訪ねた。

-今や韓国はデザイン先進国だと言われる。何をさらに知ってもらいたいのか。

 「韓流による錯視効果で韓国製品がクールだと考えるは錯覚だ。全世界の美感をリードする最上位のネットワークに韓国は含まれない。私の目標は彼らに韓国のハイエンドのデザインを示すことだ。高価という意味ではなく、美感のハイエンドだ」

-最上位の美感ネットワークとは?

 「産業デザイン界を動かす有名な審美眼が存在する。例えば、デザイナー出身でエアビーアンドビーの共同創業者であるジョー・ゲビア氏、無印良品の感性をつくり出した日本の原研哉氏、ナイキのデザイン統括クリエーターだったエドワード・ボイド氏などだ。世界に韓国の匠を知ってもらいたい。伝統的概念による匠ではない。数十年も下請け業者で眼鏡や革製品を作っている人たちだ」(最近そうした人たちとの協業で作られたユ・ヨンギュの財布がニューヨークのクーパー・ヒューイット国立デザイン博物館で発売された)

-あなたはどうやってデザイン界で人脈を築いたのか。

 「指の先ほどのUSBメモリーがきっかけだった。2009年に原研哉氏が訪韓すると聞いた。通訳を担当したデザイン界関係者にわたしがデザインしたUSBメモリーと名刺を渡してほしいと頼んだ。しばらくして、原氏は東京で会おうと言ってきた。その後、原氏の推薦で無印良品のプロジェクトを担当。ニューヨーク・トリエンナーレに参加し、世界的なネットワークづくりの扉が開かれた。USBメモリー一つが私の人生を変えたことになる」

-それでも海外では韓国ブランドの価値が向上したではないか。

 「K-POPのせいで陽気(playful)でダイナミックなイメージでだけ印象づけられたのは残念だ。本質を考える『格調ある文化』も考えるべき時だ」

-25年間で目撃した韓国のデザインの変化は?

 「1997年につくった『カクトゥギフォン』は本当は技術力不足の産物だった。『デッドスペース』(機能に不必要な空間)が多ければ技術が必要だ。それを最小化しようとした結果、直方形の形状が生まれた。今や技術力は世界的水準になった。しかし、依然多くの企業で『地位』が『デザイン決定権』として働く。スティーブ・ジョブズのレベルの審美眼を望んでいるわけではない。実務担当者の感覚に上司が付いていけないケースが大半だ。企業間でデザインの二極化も深まった。だからカネにはならなくてもスタートアップを助けたい」

 会社を辞め、最初のプロジェクトはスタートアップ「ドット」でつくった視覚障害者用スマートウォッチだった。点字を洗練された形で浮き彫りにしたところ、視覚傷害を持つ歌手スティービー・ワンダー。声楽家のボチェッリも顧客になったという。

-韓国のデザインの未来は明るいか。

 「韓国のMZ世代(ミレニアル世代とZ世代)の感覚と実力は同世代の世界最強ではないか。私たちのころは文化事大主義が強かった。ブランドをアピールしたものが、今は趣向をアピールする。ただ、インスピレーションの『食べ過ぎ』は問題だ。インターネットで流れるイメージからもアイデアを得る傾向がある。じっくりと感覚を定める知恵が必要だ」

キム・ミリ記者

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