▲写真=国会写真記者団

 2000年11月5日、当時28歳のシャミラ(Sharmila)という名前の女性が、インド北東部のマニプール州を掌握して逮捕や殺人をほしいままに行う軍の蛮行を阻止するため、ハンガーストライキに入った。「軍特別権限法」の廃止を要求し、その日から飲食を断った。六日後、警察は彼女を「自殺の容疑」で身柄拘束し、強制的に食事をさせようと試みた。「口では食べない」と粘るシャミラと妥協し、鼻にチューブを挿した。シャミラは一度拘束されると1年後に釈放されるまで、チューブで飲食の供給を受け続けた。「断食-拘束-釈放-断食」が繰り返され、16年が経過した。活動家らは「マニプールから初のノーベル平和賞受賞者が出るだろう」と期待し、大衆は「生ける聖女」と称賛した。

 そんなシャミラが2016年8月、断食をやめ、翌年の地方選挙に出馬した。相手の得票はおよそ2万票、シャミラの得票は90票だった。ハンスト中にインド系の英国人と出会って交際したことで、保守的な民心がシャミラに背を向けたのだ。18年11月、結婚1周年だったシャミラは「ガーディアン」紙のインタビューで「結婚するために断食をやめた娼婦、という声まであった」と言った。民心は非情だった。

 実際のところ、「断食16年」という命名は間違いだった。チューブで栄養分の供給を受けるとしても、食を断つのは大きな苦痛だ。シャミラの闘争は孤独だった。それでも「断食16年」ではなかった。科学的にも不可能だ。一つしかない命をかけて行うのが断食闘争だ。その点を考慮して、国際社会やメディアは「断食」と呼ぶのだ。一種のヒューマニズムだ。韓国でも「50日、100日断食した」という事例が複数ある。ひそひそ言われることはありつつも、「裏で禅食(雑穀などを粉末にした健康食)を食べたのか」と面と向かって問われることはなく、証明を要求することもない。断食闘争は「信頼」に基づいているからだ。

 進歩(革新)系最大野党「共に民主党」の代表で、糖尿の持病があるといわれる李在明(イ・ジェミョン)氏が、8月31日に断食を始めたとき、心配するよりも「応援」する人の方が多かった。政治家が次々と現場を訪れて「記念ショット」を撮り、ある女性支持者は壇上に座る李在明代表を拝もうとして阻止された。実際に腰をかがめて拝んだ支持者も複数いる。母親らは子どもを連れてきた。金泳三(キム・ヨンサム)の名言の通り、「人は食べなければ死ぬ」。李代表が「死を覚悟した断食」を始めたと信じたのであれば、そういう現場に子どもを連れてきて写真を撮る母親はいなかっただろう。断食を始めて半月経ってからは雰囲気が変わった。「譲位」を宣言した王に泣いて訴えるかのように、引退した大物たちまで出てきて「考え直してください」という雰囲気を演出した。

 李在明代表は今も「断食中」だという。9月18日から李代表が入院している緑色病院の院長は「電解質を供給する最小限の輸液治療のみを行っている」と言った。食塩水やブドウ糖の輸液のみを投与しているかのように聞こえる。ある家庭医学の専門医師は「長期の断食患者にはブドウ糖、脂質、アミノ酸が入った『3チャンバーバッグ』のような栄養輸液を投与するのが正解」と語った。病院も、李代表側も、輸液の処方に関する情報を公開しなかった。

 李在明代表は、出退勤ハンストをしながら検察の取り調べを受けた。9月20日にも原稿用紙およそ10枚分のコメントをフェイスブックにアップロードした。人並外れている。

 断食は数十年にわたり、韓国において「名誉毀損」されてきた。韓国国民は分からなくても分かっていても知らぬふりをした。「大義」を尊重したからだ。「李在明断食」を巡って以前よりも疑念やあざけりが多くなったのは、出発点が「大義」だと思っている人が少ないからだ。

 ハンストの期間中、水と塩のほかに何かを食べたことがあるか、ないか、「最小限の輸液」とは「基礎的輸液剤」のことを言っているのか「栄養輸液」のことを言っているのか、そういう輸液の投与を受けながら飲食を断つことも断食と呼んでいいのか、野党代表がまず答えてほしい。ハンストは「弱者の最後の闘争手段」だ。強者は、そういう武器を盗み、毀損してはならない。やむを得ず使うのであれば、より一層透明にやるべきだ。それが最小限の廉恥というものだ。

朴垠柱(パク・ウンジュ)副局長兼エディター

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