▲朴裕河・世宗大学教授と、朴教授が2013年に出版した著書『帝国の慰安婦』

学問の自由が勝利した

挺対協が独占していた「慰安婦の論理」…異なる主張をすると「売国奴」扱い

学者も、メディアもひきょうだった

 「学者は自己の研究が民族の利益に符合するかどうかまず考えなければならない。それを忘れたら保護を受ける資格はない」。『帝国の慰安婦』を書いた朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授が起訴された2014年ごろ、進歩(革新)系のある人物がラジオでこんなことを言った。学問の自由を否定する全体主義的発言だった。驚くべき発言に、タクシーの中でメモを取った。さらに驚くべきは、出演者の誰も文句をつけなかった、という点だ。「それでも刑事処罰はやり過ぎ」くらいの反論しか記憶に残っていない。

 2013年、『帝国の慰安婦』が配達された日、一息に読んだ。歴史学者ではない人文科の教授が書いたこの本は、朝鮮だけでなく日本、東南アジア、オランダまで広く取り扱い、女性の身体を搾取する国家権力と資本、その中の女性を題材にしていた。フェミニズム的視点だった。痛いほどに直接的な部分も多かった。

 同書は、さまざまなメディアのインタビューを比較し、慰安婦生存者の証言が年を追って変わっていっている点も指摘した。慰安婦になったという年齢は徐々に若くなっていき、最初は「お金を稼ごうと思って行った」と話していたのに、何度かインタビューした後には「ある日突然連れていかれた」に変わっていた。

 慰安婦被害者らはうそつきで、自発的売春婦だと非難しているわけでは決してない。遠い過去を記す被害者の証言は、一貫性を維持するのが困難だ。トラウマ、老化、政治的立場など、さまざまな理由がある。朴裕河は、個人の陳述の限界を超え、資料を通して戦争犯罪である日本の「慰安婦動員」体制を分析した。

 植民地の愚かな父親は「行って金を稼いでこい」と娘の背中を押し、町内に住む遠い親類は純真な女性をそそのかした。もちろん、強制で連れていかれたような少女も、お金を稼ぎにいった婚期外れの女性もいた。国がしっかりしていれば、起きるようなことではない。「強要された自発性」は、植民支配が厳然たる日常の暴力となっていたことを証明するものだ。日本には責任がないと言っているのではない。

 驚くことに、ハルモニたちを助ける「義のある」集団、「挺(てい)対協」が、この問題に命を懸けて戦いを挑んだ。文章を抜粋し、話の前後を断ち切り、朴裕河を「売国奴」に仕立てた。そのころ、疑念を抱き始めた。初期に慰安婦研究をしていたさまざまな男女の学者らは追い出され、いつの間にか、挺対協が何人かを掌握した「フレンドビジネス」になっているのではないか。朴裕河を攻撃した後、慰安婦というキーワードは「少女像」という偶像を通して感性的にますます拡散し、さらに大きな国民的支持を受けた。事業として見れば、非常にうまいマーケティングだ。「被告・朴裕河」は法廷に通う間に定年退職し、挺対協共同代表から国会議員にまでなった尹美香(ユン・ミヒャン)もまた横領事件の被告になった。

 公職の候補が生放送でうそをついても「質問に答える、即興的なうそはうそとは見なせない」として無罪判決が出る国だ。フェイクニュースの量産にふけっているメディアを家宅捜索しても「言論にくつわをはめるもの」という論理が出てくる国だ。「うそをつく自由」まで保障しているが、「親日」のレッテルが貼られると生き埋めになる。ひとえに左派が、その鑑別を行う。

 朴裕河の著書は、見事な研究書ではない。「(慰安婦の役割は)性的慰撫(いぶ)を含む故郷の役割だった」というような文章は、性搾取を「哀愁」で包装しており、飲み込むには難がある。

 それでも、挺対協のように考えず、尹美香のように語らないからといって学者を脅迫するのは、全体主義的暴力だ。太極旗部隊ではなく、こういう存在が「極右」あるいは「極左」に当たる。その暴力を、同じ教授たちも、学者たちも、言論も、見て見ぬふりをした。朴裕河をたたくこん棒が自分たちに向くことを恐れた。記者もそのひきょうな群れの中にいた。大法院(最高裁に相当)は10月26日、朴裕河に対する原審判決(名誉毀損〈きそん〉の罪で罰金1000万ウォン〈約110万円)を無罪の趣旨で破棄差し戻しとした。裁判長の盧貞姫(ノ・ジョンヒ)大法官は代表的な進歩派判事だ。

朴垠柱(パク・ウンジュ)副局長兼エディター

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