人々は、金洙暎(キム・スヨン)の詩「草」になぞらえて「風よりも草の方が先に横になった」と言った。風は権力、草は司法府だ。大統領関連の五つの裁判のうち、6月10日までに二つの裁判部が裁判を放棄した。裁判の期日を「追って指定する」としつつ、韓国憲法84条に言及した。この条項は「大統領は内乱・外患を除いて刑事上の訴追を受けない」と定めている。

 進歩(革新)系の与党「共に民主党」は裁判所に先手を取られてもたついたが、いずれ、大統領の司法リスクを「根源的に」解消しようとするだろう。その唯一の方策が「大統領裁判中止法」だ。5月に民主党議員12人が、刑事訴訟法改正案を出した。この改正案も「提案理由」で憲法84条を挙げた。「訴追を受けない」というだけで「裁判」はどうなるか「規定がない」という。だから捜査と裁判が含まれるように新たに作る、とした。

 われわれから見ると、「規定がない」理由は三つある。第一に、よもや大統領がうそをついた罪で有罪確定判決を受けても当選するというケースは想像できなかったのだろう。第二に、選挙前に裁判を受けていたのなら引き続き裁判を受けるという意味だ。第三に、民主党が争いの種にしてしまうまでは、「訴追」は検察の起訴あるいは国会での弾劾だけを思い浮かべるに過ぎず、裁判を含むかどうかが問われるだろうとは思わなかったからだ。

 「規定がない」とは法律・施行令・規則に許容・禁止・手続き・要件などを定めておかなかったということで、それはすなわち「一般の解釈」「慣習」「上位法」に従えという意味だ。われわれは「訴追」といえば当然、検察の起訴だと思った。それが、法律の専門家らの見解に先立つ、普通の市民の「一般の解釈」だった。

 民主党の議員らは「提案理由」で、大統領に対する「責任追及の憲法設計」を語っている。大統領の誤りが「内乱・外患」であれば刑事責任を問い、「在職中の憲法・法律違反」であれば弾劾審判を受けるように、韓国憲法は「設計している」と述べた。李在明(イ・ジェミョン)大統領はそれに該当しないのだから「裁判」まで受ける必要はない、というのだ。

 しかし、これは誤解だ。なぜならば、裁判は責任の追及ではないからだ。裁判とは、検察が提起した責任の追及(起訴)あるいは国会が提起した責任の追及(弾劾訴追)の是非を問うだけだ。従って、憲法に設計された責任追及構造は「被告人李在明」の裁判とは関連がない。

 彼らは、改正案の趣旨説明で「大統領の権威を確保し、国家の体面を維持すべき」と語った。そういう部分もなくはないだろう。しかし大統領が、裁判中止法のような恥ずべき自己免罪の立法例を仕方ないふりをして受け入れることも、国家の体面をおとしめることになる。

 米国憲法には、大統領に対する明示的な免責規定がない。ただ、トランプ大統領については特別検察官が「大統領の円滑な職務遂行」を理由に起訴を取り下げたに過ぎない。裁判所が裁判を無期限延期したり、与党が法律を変えようとしたりするのとは違う。

 米連邦最高裁は、大統領の在職中の公式行為について免責を認めているが、非公式行為や在任前の行為への適用は限定的だ。これを韓国に援用すると、「在職中の公式行為」は、尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領の非常大権発動のようなもので、「非公式行為や在任前の行為」は、李大統領の12の容疑が該当する。論理展開が危うくなる。

 大抵の場合、法律の改正案には「法施行後に公訴が提起された事件から適用する」というような経過措置、あるいは「6カ月後に施行する」というような猶予期間を置く。しかし民主党の刑事訴訟法改正案は、付則1条で「公布した日から施行」、2条で「法施行当時の大統領にも適用する」とされている。本当に恥ずべき付則と言うほかない。

 なお、詩では、草は風より先に横になったが、風より先に起き上がった。

金侊日(キム・グァンイル)記者

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