コラム
習近平は朴槿恵との電話会談に応じなかった【コラム】(下)
■北朝鮮の核危機に習主席は「応答せず」
朴大統領の戦勝節出席で韓中関係はいっそう強化されたかのように見えましたが、4カ月後、予想外の事態が訪れました。2016年1月6日、北朝鮮は4回目の核実験を強行して「水素爆弾実験の成功」を宣言しました。これに驚いた朴大統領は、北朝鮮問題を話し合うため直ちに習主席との緊急電話会談を試みました。しかし習主席は電話を受けようとしませんでした。「別の日程が多くて応じるのは困難」という口実で、電話会談要請に応えませんでした。
【写真】2013年6月 国賓訪中した朴槿恵大統領(当時)
これに対し朴大統領は、周囲のブレーンに、裏切られたという思いを打ち明けていたといいます。朴大統領はありとあらゆる批判の中でも習主席と共に天安門の楼閣に上がる誠意を見せたのに、肝心の習主席は危機的状況において手を携えてくれませんでした。そのことに腹を立てたのです。当時の青瓦台(大統領府)のある関係者は「朴大統領はさまざまな批判を甘受して北京に行き、閲兵式に出席したのに、中国はこんなまねができるのか」とも言いました。
■「つらいときに手を携えてあげるのが最上のパートナー」
朴大統領は2016年1月13日、北朝鮮の核への対応談話で、異例にも中国について言及しました。
「中国はこれまで北朝鮮の核を容認しない意志を何度か鮮明にしてきました。しかしその意志が行動につながらなければ、さらなる核実験も防ぐことはできず、韓半島の真の平和も不可能です」
「困難でつらいときに手を携えてあげるのが、最上のパートナーです」
習主席に対する失望を公に表現して批判したのです。朴大統領は「つらいときに手を携えてほしい」と公に要請しましたが、習主席との電話は北朝鮮の核実験後、1カ月が経過してようやく実現しました。中国は国連の北朝鮮制裁に賛成しましたが、それ以上の役割は果たしませんでした。
当時の青瓦台と外交部(省に相当)の関係者らによると、習主席は北朝鮮の核実験に対して批判的な立場でしたが、中朝間の伝統的な関係を考慮して朴大統領との電話会談を拒否したといいます。朴大統領からの電話を負担と考え、避けてしまったのです。
朴大統領の習主席に対する期待がいささか過大だったという評価も出ました。同盟国のパートナーでもないのに、2013年の就任後から習主席と毎年会い、北朝鮮問題に対する中国の役割を過度に高く見て問題解決を試みたというわけです。
■THAAD配備と韓中関係の冷え込み
朴大統領は、こうした出来事に直面した後、韓中関係よりも韓米同盟をさらに強化する方向へと外交路線を転換します。韓国政府は2016年7月8日、米国との協議を通して高高度防衛ミサイル(THAAD)配備を電撃発表しました。
この決定は中国の強い反発を呼び、限韓令(韓流禁止令)、観光制限、ロッテ系列企業への撤収圧力など実質的な経済報復へとつながりました。それでも朴大統領は同年8月、「国民の生命と国家の安全を守ることに妥協はない」と宣言し、THAAD配備を中断するつもりはないという立場を明らかにしました。
2016年7月のTHAAD配備は、オバマ政権が在韓米軍を保護するためにこれ以上遅らせることはできないと要請してきたことであって、韓中関係が及ぼした影響は大きくなかったという指摘もあります。韓国政府の中心的な関係者は「THAADは当時の韓米関係の主要事案で、韓国側が配備を遅らせ続けることはできないものだった。朴大統領と習主席の関係が友好的であっても実行は避けられなかった」と語りました。ですが、16年1月の北朝鮮核危機のときに朴大統領と習主席の電話会談が実現して良い関係が続いていたら、中国を説得しようとする努力が続き、配備時期の調整など別の形で事態が展開していただろう、という分析も少なくありません。
■「今は2015年ではない」
朴大統領の戦勝節出席は、結果的に「失敗した外交」でしたが、やってみる価値はあったという評価も行われました。少なくとも、当時は米中間の戦略的競争が今ほど先鋭化しておらず、朴大統領は韓米同盟に対する確固たる意志を基に韓中関係改善を試みたからです。
だとしたら、今はどうでしょうか? 大多数の外交・安全保障専門家らは「今は状況が違う」と語ります。米中覇権競争が露骨になっている状況で李在明大統領が中国の戦勝節行事に出席したら、それが引き起こすであろう外交的波紋はかつてよりもずっと大きなものになるかもしれません。しかも李大統領は、米国を「占領国」とさげすんだ前歴、そして駐韓中国大使館での低姿勢外交などにより、トランプ政権内の一部で不信を持たれています。
こうした状況認識のほかにも、中国が演出した舞台に「助演俳優」として上がることと韓国が危機的な状況で手を取り合うことは別個の事案である―という教訓を、大統領室は10年前の戦勝節問題から学ばねばならないように思います。
李河遠(イ・ハウォン)外交安保エディター
チョソン・ドットコム/朝鮮日報日本語版