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 朴正熙(パク・チョンヒ)大統領と米国との対立はカーター米大統領の時代に極限に達したが、それが本格的に始まったのはそれ以前のニクソン大統領の時代だった。朴正熙大統領は米国でニクソン大統領にあからさまに冷遇されたことがある。当時ニクソン大統領は朴正熙大統領をホワイトハウスではなくホテルの部屋に呼び、出迎えもせず、夕食会には同じ出身地の一般人の友人も呼んだ。朴正熙大統領は「弱小国の悲哀を悲惨なまでに味わった」と振り返ったという。これらは故・李東元(イ・ドンウォン)外務部(当時、省に相当、以下同じ)長官の回顧録に書かれている。解放から80年、韓米関係には紆余(うよ)曲折も多かったが、韓国の大統領に対する「冷遇」と言えばこの時が最悪だっただろう。

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 ニクソン大統領の時代、韓国は四方においてさまざまな試練に直面した。米国が金本位制度を停止した影響で金融市場は大混乱に陥り、保護貿易主義の復活で韓国の輸出産業は大きな打撃を受けた。ニクソン大統領はベトナムからの米軍撤退を発表したが、韓国で休戦ラインを守っていた米第7軍は撤収させなかった。米国は世界の警察官の立場を放棄し、他国の問題には干渉せず、共産主義諸国を無条件敵対視しないことにしたのだ。また日本と国交を回復した中国は「周4原則」を通じて「中国は韓国と取引する海外の企業と取引しない」と表明した。これらの相次ぐ試練はさまざまな点で今と共通点があるが、異なる点は当時の韓国がGDP(国内総生産)わずか100億ドル(現在のレートで約1兆5000億円)の貧困国だった点だ。そのため「このままではすぐに国が滅びる」という危機感が国民の間で実際に広がった。また当時は最近のようにクッポン(過激な愛国主義)に酔いしれるような材料もなかった。

 ニクソン大統領から度重なる仕打ちを受けた朴正熙大統領は経済に勝負を賭け、軽工業から重化学工業に飛躍する「クォンタム・ジャンプ(飛躍的な進歩)」で米国、日本、ドイツのレベルに上がることを目指した。これは今考えても理不尽でギャンブルとも言えるが、当時はもっと多くの人がそう思ったのではないか。

 しかし朴正熙大統領が決してブレなかったことは当時の回顧録などから分かる。故・南悳祐(ナム・ドクウ)財務長官の回顧録によると、「資金の面で困難」との意見を伝えた南悳祐長官に朴正熙大統領は「経済の命運が懸かっているんだ、長官! 難しくてもこの仕事をやり遂げよう」と訴えた。また金鶴烈(キム・ハクリョル)経済副首相の一代記によると、朴正熙大統領は資金不足を理由に造船業への進出をためらっていた現代グループの故・鄭周永(チョン·ジュヨン)会長を呼び「あなたは本当に激しい反対を受けてもさく裂する太陽の下で高速道路を建設したあの鄭周永会長なのか?」と叱責(しっせき)した。われわれがイメージするあの不屈の鄭周永氏でさえ重工業への進出をためらっていたのだ。国の役割、そして大統領の役割を改めて考えさせられるエピソードだ。今韓国を食べさせている産業はあの時構築した重工業にエレクトリックとIT(情報技術)が加わっただけだ。李在明(イ・ジェミョン)大統領の外交政策を経済面で支えるK防衛産業やMASGA(米国の造船業を再び偉大に)もあの時の遺産だ。今もわれわれはあの時代の恩恵の上に生きている。

 全ては企業から始まった。朴正熙大統領は周りの目を気にせず重工業に特別に配慮した。まさに破壊的とも言えた。社債を凍結した8・3措置、銀行の資金を引き出した国民投資基金の投入、さらには租税面や関税面でも企業を支援した。私有財産と私的契約を無視した8・3措置は国による暴力だった。「財閥特恵」などとも指摘されたが、この批判は実は間違っている。財閥に特恵を与えたのではなく、当時重工業に参入し成功した企業が後に財閥に成長したのだ。朴正熙政権は同時に短期金融業法、相互信用金庫法、信用協同組合法、企業公開促進法を成立させ地下資金を地上に引っ張り出した。南悳祐長官は「8・3措置は第2金融圏開発のスタート」と語った。私的金融レベルだった韓国の金融業を産業界の資金源につくり替えたのだ。後に企業融資の焦げ付きが大問題になったが、「マンション向け公益質屋」に転落した今の先進金融業よりもはるかに金融の本質に近かった。

 トランプ・ショックは50年前のニクソン・ショックの延長線上にあると記者は考えている。衰退した米国は今とにかく現金を欲しがっている。トランプ大統領はニクソン大統領よりも過激で脅威だ。ギリシャの経済学者ヤニス・バルファキスは「ニクソンがこの世を去ってもニクソン・ショックの影響は残っている。同じようにトランプがこの世を去ってもトランプ・ショックの影響は残るだろう」と予想している。この言葉はトランプ・ショックが一時的なものでないことを示唆するものだ。日本は関税が15%だが、韓国に対する関税が今後も25%のままだと韓国の製造業は米国市場を諦めるしかない。しかも技術面で大きく発展した中国の破壊力は1970年代の「周4原則」程度で済まないだろう。中国は韓国のあらゆる産業を飲み込む万全の準備ができている。

 しかし今韓国では年収1億ウォン(約1100万円)の労働組合員が週4.5日労働を要求しストを続けている。国会は企業の投資を美徳ではなく規制の対象と見なす法律を乱発している。不法なストに特権を与え企業経営者を潜在的犯罪者に仕立て上げた。投資以上に株主への配当や社員へのボーナスなどに資金を使う企業が拍手を受けるどこか薄っぺらい世の中になった。外患に内憂がプラスされたようなものだ。21世紀に入り国会で成立した法律は1970年代に成立した企業を後押しする法律とほぼ正反対だ。さらにたちが悪いのは政治家がビジョンを提示していないことだ。与党の政治家はトランプ大統領に対し「韓国を経済植民地にする破廉恥な蛮行」「鬼が稲の殻をむくような声(でたらめ)」などと容赦なく批判している。彼らの特技でもある「安っぽい反米」がまた始まったのだ。それでも国が発展できればそれは神のご加護だ。

 米国と対立した韓国の大統領はこれまでも何人かいたが、その中で「同盟関係」を手にした李承晩(イ・スンマン)大統領と並んで朴正熙大統領が「本当の反米政策」を実行に移したと記者は考えている。朴正熙大統領は友好国との対立を国を発展させる力に変え、「道具としての反米」を最も知恵深く実行に移した指導者だった。後に対立の渦中で権威主義が暴走し政治家としての人生は悲劇で終わったが、彼の大胆でチャレンジ精神に満ちた経済政策は50年過ぎた今も国を生かすほど偉大だった。今の危機は1970年代前半よりも深刻だが、違うのは韓国経済の体力が当時よりも強いことだけだ。「安っぽい反米」もその体力のおかげで可能だが長続きはしないだろう。反米がしたければ朴正熙大統領のようにやらねばならない。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)記者

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