信じがたいことだろうが、今の共に民主党の方々は民主化闘争時代、「進歩」という言葉に乗り気でなかった。「われわれは進歩ではなく、民主改革・愛国勢力」と言っていた。「進歩」という言葉よりも、民主の方がもっと大衆的、すなわち、票に役立つと見ていた。
1992年の大統領選挙がそうだった。全国大学生代表者協議会(全大協)とNL(民族解放)陣営は、普段は連邦制統一路線を取っていたが、大統領選挙や総選挙時は金..
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信じがたいことだろうが、今の共に民主党の方々は民主化闘争時代、「進歩」という言葉に乗り気でなかった。「われわれは進歩ではなく、民主改革・愛国勢力」と言っていた。「進歩」という言葉よりも、民主の方がもっと大衆的、すなわち、票に役立つと見ていた。
1992年の大統領選挙がそうだった。全国大学生代表者協議会(全大協)とNL(民族解放)陣営は、普段は連邦制統一路線を取っていたが、大統領選挙や総選挙時は金大中(キム・デジュン)政党との連合を推進した。左派単独政権は不可能なので、金大中陣営と連帯して政権交代しようということだ。だから、選挙にさえなれば赤い鉢巻きをしばらくの間ほどき、黄色い旗を手にした。「民主政府論」を主張し、時には「愛国」という右派のレトリック(修辞技法)も借りた。彼らは「『進歩』対『保守』」は観念的だとして、「『民主』対『反民主』」と規定した。
一方、PD(民衆民主)系列は選挙で社会主義を宣伝しようとした。しかし、国家保安法がある手前、社会主義の代わりに「進歩」を看板として掲げた。そうして出馬した大統領候補が白基玩(ペク・キワン)だった。1992年冬、ソウル・蚕室の自転車競技場に集まった群衆の中で「進歩」という大型の旗が上がった。韓国政治史で「進歩」がカミングアウトした事実上、初めての瞬間だった。彼らは「『民主』対『反民主』」は虚偽の構図であり、「『進歩』対『保守』」戦線を張る、と言った。
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社会主義の別名だった「進歩」は2004年の民主労働党の議会進出以降、既存の制度圏に登場し、今の「『進歩』対『保守』」構図がつくられた。民主党が「進歩」にただ乗りするや、反対陣営も急いで「保守」の名札を付けた。それから10年以上、「『進歩』対『保守』」構図が続いた。逆説的だが、この時から「進歩」の受難が始まった。北朝鮮の人権を無視して、カーボンニュートラル(炭素中立)を行うと言い、大規模土木工事で自然を破壊する空港を推進する。反核を叫んでいた人々が北朝鮮の核兵器には見えないふりをする。公正を強調した人々が特権を受け継ぎ、平等を叫びながら貧富の格差を広げた。差別を禁止しようと言いながら、同性愛問題が出ると知らないふりをする。議席数を前面に押し出し、議会主義を絶滅させた。進歩にただ乗りした勢力が進歩の甘い汁を吸って、ボロボロにしてしまった。
「韓国型進歩」という主張もある。西欧思想を韓国の現実に適用しようとして、このようになってしまったということだ。こうした話を聞くと、日本の幾つかの風景が浮かび上がる。日本では虚構の欧州をモデルにした正体不明の近現代的な建築物が少なくない。日本人たちは「欧州よりも欧州のようだ」と自らを慰めている。世界のどこにもない進歩をつくっておきながら、「韓国型進歩」と言う人々によく似ている。
与党は4月の補欠選挙と来年の大統領選挙を「『進歩』対『保守』」の構図でやりたがっている。しかしながら、文在寅(ムン・ジェイン)政権のこの4年間はこうした夢を水の泡にした。進歩の側に立った多くの人々が「政権交代」の列車に乗り、野党との関係を悩んでいる。共に民主党に背を向けた進歩と中道と改革的保守が同じ船に乗る連合戦線が構築される可能性もある。現執権層が街で闘っていた時代の「『民主』対『反民主』」戦線が30年後に「『共に民主党』対『反・共に民主党』」として復活することになる。
進歩らしくない進歩と、保守らしくない保守が国民を人質に利権を分かち合った旧秩序が崩れつつある。旧秩序は解体されつつあるが、まだ混沌(こんとん)としている。公正、ジェンダー、エコ、時には画一的な反日・反中のような排他的民族主義まで、なじみのない価値観が衝突する。しかし、野党が反射利益に酔って過去に回帰すれば、この10年間「『進歩』対『保守』」構図の既得権者たちがゾンビのように復活を狙っているのだ。新たな秩序を創出するための2021年の最初の戦場は4月7日、ソウルと釜山だ。
政治部=鄭佑相(チョン・ウサン)部長
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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