▲グラフィック=イ・チョルウォン
韓国と日本の代表チームは2022年カタール・ワールドカップ(W杯)で共に決勝トーナメントに進出したものの、それぞれブラジルとクロアチアに敗退した。しかし、その後、大韓民国のサッカーはクリンスマン監督、洪明甫(ホン・ミョンボ)監督や協会長を巡るリーダーシップ論議により無駄な時間を過ごすこととなった。
【表】サッカー日本代表・森保監督体制の成績
韓国代表チームがW杯予選で期待以下のパフォーマンスと成績..
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▲グラフィック=イ・チョルウォン
韓国と日本の代表チームは2022年カタール・ワールドカップ(W杯)で共に決勝トーナメントに進出したものの、それぞれブラジルとクロアチアに敗退した。しかし、その後、大韓民国のサッカーはクリンスマン監督、洪明甫(ホン・ミョンボ)監督や協会長を巡るリーダーシップ論議により無駄な時間を過ごすこととなった。
【表】サッカー日本代表・森保監督体制の成績
韓国代表チームがW杯予選で期待以下のパフォーマンスと成績で失望を抱かせる中、日本は世界で真っ先に2026W杯本大会行きのチケットを手にした。日本代表チームの現在のFIFA(国際サッカー連盟)ランキングは15位だ。
2022年、決勝トーナメント1回戦でPK戦の末に苦杯を飲んだ日本は、ドレッシングルームをきれいに整頓し、結果に対する承服と折り鶴、感謝のメッセージを残した。FIFAはこの様子を公式アカウントで共有し「試合よりも感動的な瞬間」と評した。日本は敗れたものの、共同体の信頼を得ることになったほか、その姿勢は次回を準備する勝者の条件が何であるかをよく物語っていた。
それ以降、日本代表チームは強くなった。日本サッカー協会(JFA)は森保一監督を留任させ、長所を引き継ぐとともに、敗戦の原因を徹底的に分析した。「ボールをキープしながらもチャンスの質」を重視する競技哲学に方向を旋回し、ビルドアップのスピードとハイプレスの強度を高めながら、ショートカウンターと有機的なプレッシングに焦点を合わせた戦術再構築を断行した。
カタール大会でボールをキープしながらも、決定的な瞬間を逃した経験を反映した結果だった。敗北を受け入れる姿勢は代表チームだけでなく、基礎から幼少期の育成システムを点検するなどシステムの改善を行い、次の勝利を準備する組織に進化することを可能にした。
これとは対照的に、2002年韓日W杯で韓国に敗れたイタリアは結果を受け入れられないまま、集団的怒りに身を任せた。政治家とマスコミはFIFAを猛烈に批判し、数年間にわたって「被害者フレーム」内にとどまった。内部改革よりは「審判のせい」、「運のせい」、「政治のせい」にするなど、外部に向けられた非難にエネルギーを消耗した。
その結果、指導者育成や幼少期のシステム改善におけるタイミングを逸したほか、伝統的な守備中心の戦術に安住し、停滞、後退した。2010年、14年のW杯ではグループリーグで敗退し、18年と22年は本選進出さえ逃してしまった。次の試合に備える力を失った結果だった。
これらのケースは一つの質問を投げ掛けている。「敗北はわれわれにとって、どうあるべきか」
スポーツにおいて勝利と敗北は必然の一対だ。繰り返される勝負の中で、誰もが敗北を経験するものだ。しかし、敗北を受け入れる姿勢によって共同体が持続する可能性に変化が生じる。
勝敗を分ける過程は制度と規則に基づいているが、その運用と判定に人間という変数が入り込むため、その結果は完璧とは言えない。大リーグのチャレンジ制度やサッカーのVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)、国際スポーツ仲裁裁判所(CAS)など、判定のための2次的補完装置が存在しているにもかかわらず、機械的完結性を備えた結論の導きは期待し難い。そのため、不完全さを認めながらも、手続きによる結果を尊重する姿勢こそスポーツ精神であり、共同体を維持する基盤と言える。悪い結果を受け入れたがる人はいない。しかし、これに対してどのような姿勢を見せるかが、あるいは勝負そのものよりも重要な試験なのかもしれない。
感情が理性を圧倒し、不服が集団化して制度に相対する時、共同体は揺れ始める。エルサルバドルとホンジュラスの「サッカー戦争」は、その極端なケースと言えるだろう。両国間に蓄積した民族感情と政治的葛藤は、1970年のメキシコW杯予選をきっかけに爆発した。予選敗退後、エルサルバドルのある少女ファンが自殺すると、国家的哀悼ムードの中、大統領と代表チームまでが乗り出して不服を扇動。両国は結局武器を手にするはめとなった。受け入れられなかった敗北は疲労につながり、その余波は数十年間にわたって社会的、経済的破綻を招き入れた。
韓国社会は昨年12月3日、尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領の戒厳宣言以降、国会による弾劾、憲法裁判所の罷免決定に至るまで、前例なき葛藤と分裂を経験した。内乱状態と呼ばれるほど価値感の衝突と極限的な対立に国中が揺れたわけだが、暴力を伴った最悪の事態には至らず、憲法と法律に基づいた手続きの中で危険な時間を持ち堪えた。厳しい国際情勢と経済危機の中、リーダーシップの不在により失ったものは大きいが、共同体の秩序は大きな枠組みの中で維持され、民主主義はさらに一歩前進した。
政治学者たちは、民主主義の核心は完璧な結果ではなく、葛藤の調整機能としての手続きと過程にあるという点で意見が一致する。政治哲学者のシェリル・ハンソンは「民主主義は全ての問題を解決するわけではないが、爆発しないように支える構造」と説明する。また、ロバート・ダールは「民主主義は単なる多数決による支配ではなく、敗者にも次の機会が保障されるという信頼の中で作動する手続き的体制」とし、ジョン・ロールスは「正当な手続きに対する市民の信頼を土台とした社会」と説いた。
スポーツは、民主主義のトレーニングセンターでもある。結果に満足できないかもしれないが、手続きが尊重されれば、われわれは再びトレーニングセンターに戻って次の試合に備えることができる。その繰り返しの中で市民と社会は成熟し、制度は強固なものとなり、共同体は持続可能となる。手続きに対する尊重と結果に対する承服は、その次を可能にする唯一のスタートラインだ。そしてわれわれはこれを「スポーツマンシップ」と呼ぶ。
われわれの未来を決めるもう一つの勝負が予定されている。参加する全ての選手たちが手続きと規則を尊重し、決められた枠内で競争を展開。結果を堂々と受け入れてくれることを願う。その過程が勝者と敗者の違いにかかわらず、皆が手を取り合って明日に進むことができる出発点になることを望む。試合終了のホイッスルが鳴ったとき、私たちは本当の意味で試験台に立たされることだろう。韓国社会にスポーツマンシップが必要な瞬間だ。
シム・チャング・スポーティズン代表
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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