▲5月27日午後、国連記念公園(釜山南区)で、6・25戦争フランス参戦勇士の故ジャック・グリゾレ氏(右)とアンドレ・ダシャリ氏の埋葬式が執り行われている。/キム・ドンファン記者
6・25戦争(韓国戦争)に参戦したフランス軍のアンリ・ダシャリ(1932~2025)、ジャック・グリゾレ(1928~2024)両氏の遺骨が最近国連記念公園(釜山)に埋葬された。二人の老兵の生前の声は、在仏写真家シン・ジュンファン(47)氏の2023年制作記録に残っている。すでに健康状態が良くなかったグリゾレ氏は「韓国の統一を願っている」と辛うじて語った。1953年に派兵されたダシャリ氏は、2度の..
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▲5月27日午後、国連記念公園(釜山南区)で、6・25戦争フランス参戦勇士の故ジャック・グリゾレ氏(右)とアンドレ・ダシャリ氏の埋葬式が執り行われている。/キム・ドンファン記者
6・25戦争(韓国戦争)に参戦したフランス軍のアンリ・ダシャリ(1932~2025)、ジャック・グリゾレ(1928~2024)両氏の遺骨が最近国連記念公園(釜山)に埋葬された。二人の老兵の生前の声は、在仏写真家シン・ジュンファン(47)氏の2023年制作記録に残っている。すでに健康状態が良くなかったグリゾレ氏は「韓国の統一を願っている」と辛うじて語った。1953年に派兵されたダシャリ氏は、2度の砲撃で死にかけた。彼がカラーカメラで撮影した韓国の風景は、昨日のことのように鮮明だ。
【写真】6・25参戦勇士たちの写真記録
ダシャリ氏は「現在繁栄している韓国の再建に貢献したという誇りが大きい」とし、「プーチンが侵攻したウクライナでは、当時韓国で起きたのと同じことが起きている」と語った。6・25戦争時に派兵されたフランス軍は延べ3421人。約270人が戦死したが、これは派兵国の中で最も高い割合だ。楊平郡の砥平里、楊口郡タンジャンの稜線、鉄原郡の矢じり高地など、激戦地に次々と投入されたためだ。「我々は腐りゆく死体と泥の山の中で生きていた」。生存者のミシェル・オズワルド氏(94)の言葉だ。
参戦した兵士たちは、フランス左派陣営が自分たちを「共産主義の兄弟を殺しに行く米帝の傭兵」だと非難する声を耐え難かったと語った。当時のフランス最大政党は共産党だった。党機関紙『リュマニテ(L’Humanité)』は「北朝鮮が韓国の挑発に対応したに過ぎない」として、北への先制攻撃(北侵説)を主張した。サルトルら左派知識人もこれに同調した。マルセイユ港で派兵船に乗り込んだ将兵たちには野次が、帰国した負傷兵たちには石が飛んできた。
6・25戦争の際に韓国を支援した国は67カ国で、当時世界の独立国は91カ国だった。国連軍は単一の国家のために結成された人類史上最多の民族・国家連合軍だった。5年目に突入し、ロシアに立ち向かって孤軍奮闘するウクライナを見れば想像もできない奇跡だった。先進国となった現在を、私たちは空気のように当然のことと見なしている。しかし、ダチャリ、グリゾレ、オズワルド氏のような若者たちが、生まれてこの方聞いたこともない最貧国に来なかったとしたら、今日私たちが住んでいる国は韓国だろうか?
「羊のあばら肉」「勃起した棺桶」――。「感謝の庭園」(ソウル光化門)に浴びせられた低俗な嘲笑は、大韓民国体制に対する憎悪であり、参戦勇士たちに向けて投げつけられた石であった。大統領の顕忠日追悼演説には、2年連続で「北朝鮮」も「6・25」もなかった。3・1節や警察・消防の日記念演説のようにも聞こえた。北朝鮮を「人民共和国」と呼ぶ長官が率いる国家報勲部が「ここから大韓民国がお世話いたします」と言って参戦勇士たちの埋葬式を執り行う光景は奇妙だった。
「私はまだ生きていて語ることができる証人です。しかしこれらすべてもまもなく終わるでしょう」 (ミシェル・オズワルド)。3年前には29人いたフランス参戦勇士は今や生存者は17人となった。彼らの姿を収めた写真展が、今月19日、戦争記念館(竜山)で開幕する。フランスで2022年・2023年に開かれた展示のテーマは、それぞれ次のようなものだった。「永遠に私たちの記憶の中に」「永遠にあなた方の記憶の中に」
パリ=元先宇(ウォン・ソンウ)特派員
※ 本記事はAIで翻訳されています。
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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