▲韓国人拉北者家族の会・崔成龍代表
【月刊朝鮮】1977年11月15日、新潟県の中学1年生・横田めぐみ(当時13歳)は、バドミントン部の練習を終えて帰宅する途中、何の痕跡も残さずに忽然と姿を消した。その後20年近くにわたって行方が杳(よう)として知れなかったが、1990年代後半に入り、北朝鮮工作員の証言や日本政府による調査などを通じて、北朝鮮が日本人を組織的に拉致していた事実が明らかになり、めぐみはその代表的な被害者として浮かび上がった。2002年9月、平壌で開催された日本と北朝鮮による首脳会談において、金正日国防委員長は小泉純一郎首相に対し日本人拉致を認めて謝罪した。その瞬間、めぐみの名は日朝関係を象徴する最も敏感な懸案となった。
【写真】めぐみさんが死亡した場所として知られる「平壌49号予防院」の位置関係
北朝鮮はめぐみが1986年に結婚し、1987年に娘を産んだ後、うつ病を患って1994年4月に自殺したと主張した。続いて2004年には、めぐみの「遺骨」として遺骨箱を日本側に引き渡したが、日本政府によるDNA鑑定の結果、めぐみのものではないという結論が出た。
この結果は日本社会に強い怒りを呼び起こし、以来、日本政府と家族は「めぐみは生きている」という前提のもとで返還要求を続けてきた。北朝鮮は今もめぐみを含む一部の拉致被害者の死亡を主張しているが、日本側はこれを受け入れていない。ただし、北朝鮮の劣悪な医療環境を考慮すると60代前後まで生存することは難しいとみる立場や、すでに死亡診断書等が提出されていることを踏まえて現実的なアプローチが必要だとする指摘もまた共存している。
半世紀を経た今もこの事件が終わらない理由は、めぐみ問題が単なる失踪事件ではなく、日朝関係における信頼崩壊を象徴する出来事だからである。日本政府が公式に拉致問題を提起して以来、この問題は人権・安全保障・外交が複雑に絡み合った長期的懸案となり、家族たちは「生死確認」ではなく「生存者の帰還」を求め続けてきた。めぐみが生きていれば、今年61歳になる。
■「あまりにも凄惨だ」
この事件の中心に、韓国人拉北(北朝鮮による拉致)者家族の会・崔成龍(75)代表がいる。彼は2006年、横田めぐみの夫が韓国人拉北者の金英男氏であることをDNA鑑定によって立証し、北朝鮮による公式発表を引き出した人物である。また2014年には、めぐみの死亡経緯を示す証言を入手して国内外のメディアによる報道につなげた。とりわけ2014年の報道は、めぐみが死亡した1994年当時、平壌49号予防院で働いていた関係者たちの証言に基づくものであり、日本と韓国のメディアの注目を集めた。
(日本政府は、めぐみは平壌ではなく、中朝国境に近い義州の49号予防院に移送されたとの情報を得ており、死亡の経緯や時期に疑問を提起している)
崔代表は5月末、『月刊朝鮮』とのインタビューにおいて、めぐみの最期を裏付ける5枚の追加資料を公開した。今回初めて公開された資料は、めぐみが死亡した場所として知られる平壌49号予防院の関係者による証言と病院の地図である。めぐみが死亡したとされる病院の関係者が北朝鮮を脱出した後に証言したもので、病院の位置と構成を詳細に記している。
崔代表はこれまで韓国と日本のメディアに関連証言の一部を紹介する過程で、当該資料の全体を公開してこなかった。当時、日本政府側でさえ「あまりにも凄惨だ」という反応を示したこと、そして何より証言者の身元が露呈するおそれが大きいと判断したためだと説明している。
■めぐみの最期――「両親に会いたい」
今回の資料には、めぐみが「両親に会いたい」と語り、手紙を書いて日本に送ってほしいと頼んだが、その手紙を受け取った職員が組織から批判を受け、誰にも届けることができなかったという衝撃的な内容が含まれている。内容は以下の通りである。
めぐみは両親に会いたいと言い、手紙を書いてきて日本に送ってほしいと頼んだ。手紙を受け取った職員は組織から批判を受け、誰にも届けることができなかった。その後、監視はさらに厳しくなった。
その後、めぐみへの監視はより一層強化されたという。崔代表は資料を受け取った経緯と、それをめぐる舞台裏についても今回初めて詳しく説明した。崔代表の言葉をひと言で要約すれば、こうなる。「めぐみの死亡資料を一緒に探そうと先に訪ねてきたのは日本政府だった。ところが資料が出てくると、安倍政権はそれを握り潰した」
『月刊朝鮮』は、崔成龍代表が確保した、横田めぐみが治療を受けたとされる平壌第49号病院関係者の自筆証言5枚を公開する。証言は自筆で記されているが、筆跡が露出した場合、証言者の身元が明かされるおそれがあるため、活字に直して掲載する。
今回の証言には、めぐみが埋葬されたとされる共同墓地が病院の見取り図の中に記されており、その位置も比較的詳しく記録されている。また、めぐみが生の最後の瞬間に日本に手紙を書こうとしたという内容も含まれている。病院で死者が出た場合の処理手順についても具体的に記載されており、病院の構成人員や内部構造、職員の配置に関する内容まで盛り込まれている(「めぐみの最後の資料」)。
■初公開「平壌第49号病院」の地図
今回公開された平壌第49号病院に関する図には、病院の位置と周辺地形が比較的具体的に示されている。とりわけ図には、横田めぐみ――北朝鮮での名前「明淑」――が埋葬されたとされる共同墓地の区域もあわせて記されている。
また初公開の資料には、病院内での死者処理手順も記載されている。死者が出た場合は「病院全体の医師が参加するもとで討論を行い」、死者の遺体は家族がいる場合は家族の意向に従って処理するとされている。家族や保護者がいない場合は病院の判断によって共同墓地に埋葬するという内容も含まれている。
この記録が事実であるならば、めぐみの死亡と埋葬の過程が単なる個人的な事故や自殺として処理されたのではなく、病院内部の手続きと当局の管理のもとで行われた可能性を示す状況証拠として解釈できる。
崔成龍代表の証言を理解するには、まず2006年まで遡る必要がある。北朝鮮が2002年の日朝首脳会談でめぐみの夫として公表した人物の名前は「金哲俊」というものだった。しかし韓国人拉北者家族の間では、早くから別の名前が取り沙汰されていた。1978年に全羅北道・群山の仙遊島海水浴場で拉北された高校生の金英男がその人物ではないかという疑惑である。めぐみ(1977年拉北)と金英男(1978年拉北)は拉致の時期がわずか1年違いであり、崔理事長によれば、二人は北朝鮮の工作員養成機関で3年間ともに教育を受け、縁を結んだという。
崔代表はこの疑惑を「主張」の領域から「事実」の領域へと引き上げた。彼は日本側と極秘裏に接触し、めぐみの娘(北朝鮮の発表名はキム・ヘギョン、後にキム・ウンギョンと訂正)のDNAと韓国にいる金英男の家族のDNAを照合する作業を実現させた。当時、日本側のカウンターパートは官房長官だった安倍晋三であった。
「安倍が官房長官のとき、私と約束を交わしました。DNAを共同発表する、そして政治的に利用しない、と。ソウルのロッテホテルで日本側の公使と秘密裏に会って署名までしました」
2006年4月、韓日両側は、群山の金英男の家族とめぐみの娘・ウンギョンとの間のDNA鑑定結果が血縁関係である可能性98.6%という分析を共同発表した。発表の場となったソウルの水協中央会ビル前には、日本の放送局の生中継車4台が陣取った。めぐみの父・横田滋氏も東京からの合同生放送の形で参加した。当時、滋氏はカメラに向かって「崔代表、ありがとう」と述べた。
■金英男(めぐみの夫)、めぐみの死亡日を直接言及
日本政府によるDNA発表からわずか数日後、平壌から反応が届いた。朝鮮中央通信は「金哲俊は韓国人学生の金英男で間違いなく、めぐみの娘の名前もキム・ヘギョンではなくキム・ウンギョン」と訂正発表した。さらに同年6月、金剛山離散家族再会行事において金英男が韓国の母親と会えるよう取り計らうと表明した。2006年6月28日、金英男は金剛山ホテルで28年ぶりに母・崔桂月氏と再会した。娘のウンギョンも同行した。記者会見で金英男はめぐみの死亡日を「1994年4月13日」と直接述べた。
「私がDNAで北朝鮮の自白を初めて勝ち取ったのです。人を連れ去っておきながら『そんな人物はいない』と言い張っていた連中から。あの日の発表を聞いて、わんわん泣きました」
北朝鮮が韓国人拉北者の存在と身元を自ら公開した、事実上初めての事例であった。そしてこの自白は、めぐみ事件の真実を追う崔代表に最も決定的な手がかりを一つ残した。めぐみが生きていたならば、わざわざ死亡日まで自ら明かす理由はないということだ。
■日本政府の提案による韓日共同作業
2014年11月7日、韓国と日本のメディアは北朝鮮の内部資料を引用し、「横田めぐみが1994年4月に精神安定剤と睡眠薬を過剰摂取した末に29歳で死亡し、病院近くの山野に埋葬された」という内容を報道した。これはめぐみが1994年にうつ病を理由に自殺したという北朝鮮のこれまでの説明とは趣を異にするものであり、北朝鮮当局の管理のもとで実質的に薬物過剰投与により死亡した可能性まで提起した暴露として受け止められた。日本社会は大きく揺れ、日本政府もただちに「事実と異なる部分が少なくない」として強く反発した。
この報道の端緒となった資料を確保した人物こそ崔成龍代表である。崔代表は今回のインタビューで、資料追跡が韓国の民間団体による独自行動ではなく、日本政府側の提案によって始まった韓日共同作業だったと初めて具体的に明かした。「こういう情報がある」と日本政府が先に訪ねてきたのであり、「一緒に調査しよう」という提案もまた日本側からなされたと言う。費用も日本側が一部負担したが、崔理事長は交通費と書類費程度だったと説明した。
崔代表は、資料の信憑性を確保するためには核心証言者を日本に連れて行き、直接証言させることが条件だと提示したという。「証言者を日本に連れて行って、その人の話を聞けばいいではないか」と主張したが、この提案は受け入れられなかったと言う。崔代表によれば、その過程で安倍晋三当時首相は報告をすべて受けていたにもかかわらず、最終的には拒否したという。
資料が公開された後も、日本政府の態度は変わらなかった。日本政府は国会においてさえ該当内容を公式に否定し、自国政府が先に関与して調査した資料を、公開後にはそれを認めないという矛盾した態度をとることになった。崔代表はその背景について、この一件に関与していた日本の官僚たちが職を追われたという話を伝え聞いたと明かした。韓国流に言えば、一種の「トカゲのしっぽ切り」が行われたわけだ。
では、日本政府はなぜ、めぐみの死亡を示唆する資料を自ら探しながら、それが出てくると背を向けたのか。崔代表はその理由を明言した。めぐみが生きていてこそ、北朝鮮による自国民拉致問題に対する日本国内の推進力が維持され、それが政治的にも有利だという計算が根底にある、というのだ。崔代表の言葉を借りれば、答えは「見え見えのこと」だった。
崔代表の証言は、2014年5月の北朝鮮・日本ストックホルム合意とも接点を持つ。当時、北朝鮮は日本人拉致被害者全員の再調査を約束し、日本は一部の対北制裁を解除した。しかし約束した再調査は結局進展せず、合意は事実上履行されないままとなった。
この過程で何が起きたのかは、ずっと後になってから一部が明らかになった。共同通信は2019年2月、北朝鮮が2014年以降、日本政府に対し、拉致被害者の田中実(失踪当時28歳)が平壌で結婚して家族とともに暮らしていると複数回にわたって非公式に伝えていたと報じた。同報道はまた、別の失踪者・金田龍光(当時26歳)についても、北朝鮮が「妻子がいる」と伝えたと報じた。しかし日本政府はこの2人の生存情報を公表せず、当時の安倍政権もこれを事実上黙殺したという続報が相次いだ。
崔代表はこの箇所で2人の資料を自ら取り出して見せながら、北朝鮮がストックホルム合意において「拉致した」と認め、「連れて行ってほしい」とまで言ったと語った。しかし日本政府は、めぐみ問題が薄まる可能性があるという理由でこの2人を引き取らなかったと彼は主張した。この主張は日本政府の公式立場ではなく、崔代表が当時の状況を解釈したものである。
崔代表はまた、2022年9月、ストックホルム協議当時の外務省事務次官だった齋木昭隆が、北朝鮮の調査報告書の中に田中・金田の生存情報が含まれていたことを認めたと述べた。ただし、この発言に関連する報道は多く出ていないと付け加えた。
共同通信の報道によれば、北朝鮮は2人を「自発的な越境」と主張して拉致を否定し、本人たちも帰国の意思がないと述べたとされている。日本政府は2人との面会さえ実現させることができなかった。どちらの主張が事実なのかはわからないが、変わらない事実が一つある。平壌に生存していると北朝鮮が自ら通報した日本人2人が、合意から10年以上が経った今も日本に帰ることができていないという点だ。
崔代表はこれを「非人道的だ」と断じた。「北朝鮮が『ここにいるから連れて行け』と言っているのに連れて行かない政府が世の中にどこにあるか」と述べ、日本政府は拉致問題を解決するどころか、むしろ政治的に管理していると批判した。
■金正日「日本に裏切られた」
崔成龍代表は今回のインタビューで、2007年の南北首脳会談にまつわる秘話も公開した。盧武鉉政権は彼の団体のために「戦後拉北被害者補償・支援法」を整備し、盧武鉉大統領は同年10月に平壌で行われた金正日国防委員長との首脳会談において、離散家族と拉北者の生死確認問題を直接取り上げた。公開された会談記録にも離散家族問題に言及した箇所が含まれている。
しかし崔代表によれば、公開されなかった金正日の反応が別に存在していた。会談に同席していた李在禎当時統一部長官が帰国後、崔代表と団体幹部を長官室に呼んで伝えた内容だ。崔代表は「盧大統領が生死確認問題を持ち出すと、金正日が『私は日本人の拉致を認め、その家族も返したのに、裏切られた。今、私の周りの幹部たちが日本のことで沸き立っている。この問題を今は解決できない。ゆっくりやりましょう』と言った」と伝えた。
この発言が事実であるならば、北朝鮮は2002年に日本人拉致を認め、被害者5名を送還した後、日本が約束していた「一時帰国」方針を覆して永住帰国を認め、対北圧力へと転じたことを、深刻な裏切りとして受け取っていたことになる。実際に北朝鮮は2002年11月、朝鮮中央通信を通じて「一方が義務の履行を中断するなら、もう一方も義務を継続して履行することは難しい」と述べていた。
崔成龍代表の証言は、その認識が5年後の南北首脳会談の席でもそのまま作動していたことを示す状況証拠として読める。すなわち、平壌の視点からすれば、日本人拉致問題と韓国人拉北者問題は別個の案件ではなく、一つに束ねられた交渉カードだったということだ。そのために日本との対立が韓国人拉北者の生死確認問題にまで波及したとする解釈が成り立つ。
■「韓国が日本に拉致の事実を教えてやった」
崔代表はまた別の証言も取り出した。日本が自国民拉致問題を認知するに至った出発点に韓国の情報機関があったという主張だ。彼は2006年のDNA調査結果の共同発表直後、当時ハンナラ党議員だった鄭亨根・元国家安全企画部(韓国の情報機関、現在の国家情報院)対共捜査責任者が自身の事務室を訪ねてきて、こんなことを言ったと伝えた。
「覆分子(韓国の果実酒)を一本ずつ分け合いながら、鄭議員がこう言いました。『私が安企部の捜査局長のとき、日本政府に教えてやった』と。北朝鮮が日本の学生たちを連れて行ったと、めぐみとはっきり名指ししたわけではないが、そういう形で知らせてやったと言っていました。そのときから日本が拉致問題でそろそろ動き始めたとも言っていました」
日本社会が拉致問題を北朝鮮の仕業として本格的に公論化するきっかけとして、1987年のKAL機爆破犯・金賢姫の陳述がよく挙げられる。金賢姫は日本人拉致被害者の田口八重子に日本語を習ったと暴露し、韓国の捜査当局が確保したこの陳述が日本へと伝わったことで、拉致疑惑は具体的な実体を帯び始めた。金賢姫はのちに、めぐみが同僚工作員に日本語を教えており、二人が一緒に写った写真も見たと証言している。日本人拉致問題の初期の端緒の相当部分が韓国から出たという点は否定しがたい。ただし、鄭亨根元議員の発言は、その出発点が一般に知られている時期よりもさらに遡る可能性を示唆している。
崔代表はこの箇所で特に韓国人拉北者問題を強調した。彼は、韓国政府が拉北者516名についていつ、どこで、どのような経緯で連れ去られたかを秒単位に近い記録として保持している一方、日本にはこのような体系的な資料が十分ではなかったと述べた。また、日本が公式に認定した拉致被害者17名についても、その相当部分が北朝鮮から提供された情報と陳述によって確認されたと指摘した。さらに崔理事長は「17名の日本は全世界を動かすのに、516名の韓国は沈黙している」と嘆いた。
■日本でも割れた世論
めぐみ問題が容易に解決されない別の理由として、崔成龍代表は日本の内部、とりわけ被害者側の硬直性を指摘した。彼はめぐみの両親と親しく交わった数少ない外部の人物であり、日本の外からこの家族を長年見守ってきた人物に近い。
2014年3月、横田滋・早紀江夫妻はモンゴルのウランバートルで孫娘のキム・ウンギョン氏と初めてかつ最後となる対面を果たした。日本政府が北朝鮮との交渉を通じて実現させた第三国での面会であった。崔代表は「金正恩が父・金正日が謝罪まで行った案件だとしてモンゴルでの面会に同意した」と述べながらも、面会後も日本側の「生存帰還」要求が続いたことで信頼が再び揺らいだと見ている。
彼が伝えた話は特に象徴的だ。モンゴルから帰国した滋氏が病床に就いた際、日本大使館を通じて崔成龍代表にお見舞いの依頼が届いたという。滋氏は「死ぬ前に崔代表に一度会いたい。お見舞いに来てもらえないか」と言い、崔代表はすぐに日本へ向かうための荷造りをした。ところが日本大使館から再び連絡が入った。保守系の拉致被害者救出団体の人物、とりわけ西岡力などが空港で崔理事長の入国を阻止すると言っているというのだ。結局、お見舞いは実現しなかった。
滋氏はついに娘を再び腕に抱くことなく、2020年6月5日、87歳でこの世を去った。
崔成龍理事長はその後も日本に渡り、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)に資料を届けようとしたが、空港で拘束され、同行した拉北者家族9名とともに事実上強制退去させられたこともあったと明かした。「拉北者家族を、同じ被害者家族を、日本政府が拘束した」と彼は述べた。
横田家の内部では、いまなおめぐみの生存可能性を重視する雰囲気が強い。めぐみの双子の弟・横田拓也氏は現在、日本人拉致被害者家族会の代表を務め、母・早紀江氏とともに拉致被害者全員の即時帰国を求め続けている。日本政府が北朝鮮との交渉を通じて問題を早期に解決すべきだという家族会の基本的立場も変わらず維持されている。
ただし日本社会の内部では、拉致問題解決に向けた運動の方法や対北アプローチをめぐってさまざまな意見が存在する。被害者家族への共感と支持が依然として強い一方、長期化する膠着状態を打開するためにより現実的な解決策を模索すべきとの声もたえず上がっている。
崔成龍代表は日本政府の現在の路線を二つの点から批判した。一つは、北朝鮮がすでに「死亡した」と通報した被害者について、遺骨の送還とDNA鑑定、死因の再調査を求めないという点だ。もう一つは、それでいながらすべての被害者に対して「全員生存帰還」という、現実的には交渉の成立が困難な要求のみを繰り返しているという点だ。
■崔成龍代表「今こそ解決すべき時」
「死亡診断書に病名まで記されているなら、まずは遺骨を出せと求めてDNAを確認するのが筋ではないか」「それはせず、無条件に生きているから返せとだけ言っている。70代、80代になっているであろう人々に対してそういう要求を続けている」と述べた。また、日本のある専門家が自分に「日本は植民地支配36年をめぐみ一人で帳消しにしようとしている」と語ったと紹介した。
崔代表が提示する解決策は比較的明確だ。第一に、日本は北朝鮮にめぐみの死亡経緯に関する全面的な再調査を公式に求めるべきだ。2014年の証言が事実かどうかを北朝鮮に直接問うことが出発点だという。第二に、北朝鮮がすでに死亡したと通報した被害者全員について遺骨の送還とDNA鑑定を求めるべきだ。
第三に、金正恩から新たな謝罪と再発防止の約束を取り付けるべきだ。「父親が謝罪した問題を、息子が無視できる理由はない」と彼は述べた。
第四に、北朝鮮が生存を認めた田中実・金田龍光氏らの帰還をまず現実化すべきだとみている。
第五に、これらすべての過程に韓国人拉北者516名の問題を必ず連動させるべきだというものだ。崔代表は「日本政府が拉致問題を解決しようと乗り出すとき、韓国大統領も『私たちにも拉北者がいる、一緒に解決しよう』と言うべきだ」と述べ、「金正日が謝罪までした問題であり、金正恩も強圧的統治が長くは続かないとわかっている。今こそ解決すべき時だ」と語った。
彼が七十を超えた年齢で盧武鉉元大統領にまで言及しながらこの問題を取り上げる理由も、「100%事実だから」だと強調した。
(編注:北朝鮮では漢字を使わないため、発音に合わせて適切な漢字を当てた)
李政炫(イ・ジョンヒョン)月刊朝鮮記者
チョソン・ドットコム/朝鮮日報日本語版
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