北京五輪重量挙げ:五つの世界新を出した張美蘭(上)

北京五輪重量挙げ:五つの世界新を出した張美蘭(上)


 中学校の卒業を控えた少女は重量挙げの選手になりたいとは思っていなかった。むしろ女性が重量挙げをするということを恥ずかしいと思っていた。しかし少女は父の勧めに反抗するほどの意志もなく、「選手として成功すれば大学に進学できる」という一言が決定的となった。

 16日に行われた北京五輪女子重量挙げ最重量級(75キロ超級)で五つの世界新を打ち立て金メダルを獲得した25歳の張美蘭(チャン・ミラン)選手(高陽市庁)は、重量挙げを最初に始めた1999年1月を思い起こした。「幼いころは自分が重量挙げ選手だとは誰にも言いたくなかった。もちろん今はそんなことはない。このように重量挙げにふさわしい体に生んでくれた両親に感謝したい」

◆重量挙げをするために生まれた

 張美蘭の中学時代のあだ名は「空を飛ぶトンカツ」だった。体は同級生の中で最も大きかったが、足も早く走り幅跳びも得意だった。重量挙げ選手だった父親チャン・ホチョルさん(54)によく似て骨が太く力もあった。生まれたときから重量挙げ選手としての体を持っていたのだ。以前、張美蘭を指導したことのある原州市体育会のキム・ヘグァン事務局長は「パワーはもちろんだがスピードと柔軟性にも優れているため、始めたのは遅かったがそれでも他の選手を圧倒できた」と語る。重量挙げを始めて6カ月目となる99年6月には、全国女子重量挙げ選手権大会でトータル177.5キロを持ち上げ3位に入った。張美蘭は練習を重ねるほどに記録が伸びる重量挙げの妙味を悟った。張美蘭は1年後には自らの記録を70キロも伸ばし、高校2年生以降は韓国では敵なしとなった。

◆世界トップへの夢

 張美蘭は高校3年生だった2001年に韓国代表の常備軍となり、その後2年間はバルセロナ五輪金メダリストの全炳寛(チョン・ビョングァン)監督の指導を受けた。全監督は「体力的に問題はなかったが、基本的な姿勢をいくつか修正する必要があった」と張美蘭と最初に会った当時を振り返る。バーベルを持ち上げる際の手首の動きを集中的に修正した張美蘭は、01年10月に全国体育大会でトータル260キロを持ち上げ、初めて韓国記録を打ち立てた。

 張美蘭は04年のアテネ五輪で302.5キロの記録で銀メダルを獲得し、国際的にも注目を集め始めた。世界でもトップクラスとなったが、細かい動きは修正の必要があった。張美蘭は05年からヨム・ドンチョル前代表チーム監督の下で下半身や腰、肩、腕などの筋力を一気に発揮する練習を重ねた。ヨム前監督は「最初に筋肉のバランスを取り、ジャークとスナッチ双方の動きを整えるのに専念した」と語った。こうした練習が功を成し、張美蘭は05年5月にカタールでの世界選手権で優勝し、06年5月にはトータル318キロの世界新記録を樹立した。

北京=陳仲彦(チン・ジュンオン)記者

北京=パク・シヨン記者

【ニュース特集】2008北京オリンピック

<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) Chosunonline.com>
関連フォト
1 / 1

left

  • 北京五輪重量挙げ:五つの世界新を出した張美蘭(上)

right

あわせて読みたい