戦闘機の操縦士も手を振ったが、902便の操縦士たちは理解できなかったという。戦闘機の操縦士もまた、902便の操縦士たちの意思がまったく分からない様子だった。その後、戦闘機は902便の周りを1周して姿を消した。それから4-5秒後、902便は戦闘機が発射した迎撃ミサイルの直撃を受け、急降下を始めた。
左側の主翼が落下し、急降下し始めた902便の機内は阿鼻(あび)叫喚の状態になった。キム機長は当初、黒っぽい路面を見て不時着を試みたが、次の瞬間、そこを列車が通過した。機長がそのまま不時着していれば、902便は列車と激突し、乗客・乗員は全員犠牲になっていたところだった。902便は再び高度を上げた後、凍結した湖の上に不時着した。イ航法士は「まさに九死に一生を得たという状況だった」と語った。
当時、902便に迎撃ミサイルを発射したソ連を非難する声はあったが、ソ連は「領空を守る観点から、当然取るべき行動だった」と主張した。ソ連は902便を、旅客機を装った偵察機であると判断し、着陸誘導に応じなかったため撃墜を試みた、と説明した。
ムルマンスク上空で大韓航空902便の撃墜を試みたソ連軍の戦闘機の操縦士だったアナトリー・ケレホフさんは、本紙のインタビューに対し「非常信号と着陸誘導の合図を相手に送ったが、相手は応じなかった」と語った。なおこの事件で、死亡した乗客二人を除くすべての乗客・乗員はその後帰国した。
それから5年後、大韓航空007便はソ連領のサハリン上空で、ソ連軍の戦闘機から発射された迎撃ミサイルによって撃墜された。ソ連は5年前と同じく、「着陸誘導を試みたが、旅客機が応じなかったため撃墜した」と説明した。戦闘機の操縦士だったケンナディ・オシフォビッチさんは、本紙のインタビューに対し「着陸誘導に応じなかったため撃墜した」と話した。
二つの事件の真実を明らかにする唯一の証拠はブラックボックスだ。だが、韓国政府は事故機のブラックボックスを回収できなかった。このため、多くの人が死傷した事件であるにもかかわらず、韓国は外交ルートで正式に抗議することもできず、補償金を受け取ることもできなかった。そうこうしている間に、すでに25-30年もの歳月が流れてしまった。