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大韓航空機が2度もソ連軍に撃墜されたワケ(上)

 先月7日、大韓航空の貨物機が交信を絶ったまま欧州上空を飛行し、ドイツ軍の戦闘機がスクランブル発進した。戦闘機が貨物機に接近し、翼を揺さぶって交信を求めたところ、貨物機のパイロットがようやく応じたため、辛うじて撃墜を免れた。

 今回の事件は、1978年と83年の2度にわたり、大韓航空機がソ連軍に撃墜された事件を思い出させる。韓国政府は先月12日、1978年の大韓航空機撃墜事件が発生から30年を迎えたのを受け、当時の外交に関する秘密文書を公開した。78年と83年の大韓航空機撃墜事件は、それぞれ北極海とサハリン上空でソ連の領空を侵犯したため、災難に遭ったものだ。

◆2度にわたり繰り返された悲劇

 1978年4月20日、乗員・乗客113人を乗せパリからソウルへ向かっていた大韓航空902便(ボーイング707型機)は、米アラスカ州アンカレジへ向かう途中で航路を逸脱し、ソ連の領空を侵犯した。大韓航空機はソ連軍のSu-15戦闘機の攻撃を受け、北極海沿岸のムルマンスクに不時着した。この事件で乗客二人が死亡、13人が重傷を負ったが、もし迎撃ミサイルが主翼ではなく胴体に命中していれば、全員が犠牲になっていたところだった。

 この5年後の83年9月1日、アンカレジからソウルへ向かっていた大韓航空007便(ボーイング747型機)がソ連上空を侵犯した。今度はソ連軍のSu-15戦闘機が発射した迎撃ミサイルが胴体に命中し、乗客・乗員269人全員が死亡した。このような事件がなぜ繰り返されたのかはまだ明らかになっていない。韓国政府が公開した外交文書も、78年の事件についての疑問を増幅させるだけだ。

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