【コラム】SNS・メッセンジャー時代、韓国社会で失われたもの

【コラム】SNS・メッセンジャー時代、韓国社会で失われたもの

 韓国のA教授は最近、研究室にいるときはドアに鍵をかけている。ノックもせずに入ってきて、いきなり用件を話し出す学生が多いせいだ。話を全部聞いてから「ところであなたは?」と尋ねると、ようやく学生だと答える人もいるという。タイトルのない電子メールを送ってきて「私は今学期、何回欠席しましたか?」「講義の内容は掲示板に載りますよね?」などと聞いてくる学生たちは、あいさつ文もなく、名乗りもしない。手紙やメールの末尾で名前の後ろに用いられる「○○拝」という表現も、姿を消して久しい。

 A教授は「今の若者たちは話し相手の名前が自動で表示され、形式的なあいさつを省略するSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やメッセンジャーの対話に慣れているため、自分の名前や所属を伝えるという基本的な対話のマナーさえも知らない」とため息をつく。耐えかねて「電子メールのエチケット」をまとめた文書を学生たちに配ったこともある。

 だがそれでも、電子メールを送ってくる学生はまだましな方だ。携帯電話の番号をどうやって知ったのか、朝も夜も関係なくメッセンジャーアプリのカカオトークで「今日、私の出席をチェックされましたか?」などと聞いてくる学生もいるという。

 最近では、文字を使ったコミュニケーションに慣れた若者世代が電話を避けるようになり、「コールフォビア(電話恐怖症)」という言葉まで生まれている。画面を何度かタッチするだけで、ピザを注文したりタクシーを呼んだり、好みのヘアスタイル写真を選んで美容院を予約できたりする世の中なのだから、それも当然かもしれない。海外でも、電話コミュニケーションのコンサルティング業が登場したところを見ると、状況は同じようだ。カナダのある電話コミュニケーションコンサルタントは「多くの人が適切な単語を適切な順序で、適切な時間内に話すことに自信を持っていない」と診断している。

 技術が発達し、時代が変われば、人のコミュニケーション方法も自然と変わっていくものだ。だが、変わったコミュニケーション方法に不快感を覚える人もいるということは覚えておくべきだ。ポケベルを経て携帯電話が普及し始めたころにも「電話ばかりしないで直接会って話そう」と呼び掛けるキャンペーンが行われた。

 SNSやモバイルメッセンジャーで文字をやりとりするコミュニケーションは、言葉を虚空に放り投げるようなものだ。自分の送ったメッセージを見た瞬間、相手がどんな反応をしても、どんな感情を見せても、自分には分からない。簡単で正確、便利な手段ではあるが、自分が言いたいことを自分に都合のいい時に、自分が望む方法で投げ掛けているだけで、肝心の自分自身はメッセンジャーの後ろに隠れているような気分にもなる。

 戯曲「ゴドーを待ちながら」の主人公、ウラディミールとエストラゴンのように、対話といいつつも実際にはそれぞれが独白をしているのではないだろうか。自分の言いたいことだけを言う「SNS式コミュニケーション」のせいで、「人との対話には常に心を込めるべき」という基本中の基本さえも忘れている。

崔秀賢(チェ・スヒョン)文化部記者
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