500人の通信使に100万両を投じた江戸幕府

 「ウシ・ブタ・ニワトリ・キジ・カモ…。おおむね鳥の肉を好む。スイカ・カキ・ナシ・ミカン・ブドウ…。水分が多い果実を特に好む。古酒と焼酎を好む」

 1748年、対馬島主は「朝鮮人が好む食べ物」を記し、朝鮮通信使が通過する日本の各地域に通知した。通信使一行の接待に万全を期そうとする努力だった。江戸幕府は、500人に上る通信使一行の寝所と食事を用意するのに、年間予算に近い100万両を投じた。朝鮮王朝は、壬辰(じんしん)乱(文禄・慶長の役)を起こして信頼を破壊した日本に、戦後だけでも12回も「信」を「通」わせる使節団を送った。

 著者は朝鮮王朝時代の韓日関係史に関する専門家。およそ10年にわたって、教師や大学生の探訪団を率い、かつて通信使が歩んだ道を踏査した。ソウルをたって東京に至るまでの旅程を、古い記録を通して復元し、通信使が立ち寄った地域を足で回る中で得た知恵を加味して、望ましい韓日関係を模索した。

 300年前の通信使(1719年)の製述官、申維翰(シン・ユハン)が残した『海游録』の旅程を主に追跡した。通信使記録物は、当時の東アジア知識人と文化・芸術人の水準を示す知的遺産だ。昨年10月にはユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界記録遺産に登録された。356ページ、1万8500ウォン(約1880円)。

李漢洙(イ・ハンス)記者

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  • 【新刊】ソン・スンチョル著『朝鮮通信使の道の上で』(歴史人社)

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