強制徴用:韓日国交正常化の枠組み「請求権協定」に激震

 1965年の請求権協定は、こうした限界の中で成立した。韓国政府は、賠償要求を取り下げる代わりに金額を増やすという方向へ戦略を変えた。経済開発のための資金を切に必要としていたからだ。名を捨てて実を取ったのだ。日本は、「経済協力」という名目にすれば金額を増やす意思があるとした。「金鍾泌(キム・ジョンピル)・大平メモ」が妥協の象徴だった。その結果、請求権協定には「賠償」という文言が盛り込まれなかった。「資金(無償3億ドル〈現在のレートで約340億円、以下同じ〉+有償2億ドル〈約230億円〉)の供与・貸付」を約束した第1条と、「請求権の完全かつ最終的な解決」を明記した第2条の間に関連も付与されなかった。額面通りに受け取れば、日本は代償なしにカネを出し、韓国は代償なしに請求権を放棄した、というわけだ。

 ところが、当時の張基栄(チャン・ギヨン)経済企画院長官は国会で「この資金に賠償的な性格がある」と語った。「補償金を国の資格で請求するので、個人については国内で処理したい」という当時の韓国代表団の発言も残っている。請求権協定に関する合意議事録にも「対日請求要綱の範囲に属する全ての請求が最終解決された」と明示がある。この範囲に「徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の弁済請求」が含められた。この文言などを土台として2005年8月、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権もまた、徴用被害者の補償は請求権協定に含まれると結論付けた。そしてこれにより、盧武鉉政権は韓国国民の税金で徴用被害者およそ7万人に6200億ウォン(現在のレートで約614億円)に達する慰労金を支払った。だが大法院はこうした歴史的・政治的経緯を考慮せず、請求権協定が名目上は財産請求権に局限されるという理由をもって、植民地の違法行為に対する損害賠償請求権は消えていない、と判示したのだ。

韓慶珍(ハン・ギョンジン)記者
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