旧韓末の激動期、指導者の力量の差が朝鮮と日本の運命を分けた。伊藤博文をはじめとする日本のリーダーは外に耳目を開いていた。国際情勢に機敏に対応し、力を蓄え、近代化を成し遂げた。韓国にはそういう指導者がいなかった。大韓帝国の皇帝、高宗(コジョン)は帝国主義の侵奪を乗り越えるような力を持つ統治者ではなかった。改革の君主を名乗ったが、実情は封建君主の限界を超えられなかった。高宗の狭い世界観と貧弱な国家ビジョンが亡国を呼び込んだ。朝鮮は外国勢力の侵入以前に指導者の無能、無気力、無戦略のせいで自ら崩壊した。
今は旧韓末に匹敵する乱世だ。大国同士が激突し、力と力がぶつかり合うゲームが繰り広げられている。世の中は弱肉強食のジャングルと化したが、文政権は国内に敵をつくって対立する内部抗争に没頭している。表の世の中に目を向けず、身内で争ってばかりの偏狭なリーダーシップにとどまっている。その姿から100年余り前の高宗のイメージが連想されても仕方がない。
まず、高宗は大国の力学関係を読み違え、致命的な判断ミスを犯した。当時の覇権国だった英国ではなく、非主流のロシアと手を結ぼうとした。俄館播遷(がかんはんせん、1896年に高宗がロシア公使館に移り政治を行ったこと、露館播遷とも)を見た英国は6年後、英日同盟を結び、朝鮮を日本に引き渡してしまった。文政権も同様の過ちを犯している。覇権を握った米国との同盟を弱体化させ、覇権に挑戦する中国とバランスを取ろうとしている。覇権国に背を向けた国が国際秩序の主流陣営に立つことはできない。誤った選択で外交的な孤立を招いた旧韓末の失敗を繰り返している。