【新刊】朴桓著『独立軍と武器』(図書出版ソンイン)
「精神力だけで勝った戦いではありませんでした」
朴桓(パク・ファン)水原大学史学科教授(62)はこう語った。今年は鳳梧洞の戦い(1920年6月7日)と青山里の戦い(1920年10月21-26日)100周年で、朴教授はこれに合わせて最近、研究書『独立軍と武器』(図書出版ソンイン)を刊行した。
実際、鳳梧洞の戦いと青山里の戦いの勝利はすっきりとは理解されない点がある。滅びた国の民兵レベルだった軍隊が、三・一運動直後に日本軍の正規軍を相手に大勝利を収めたからだ。独立運動史研究者の朴教授は、勝利の原動力は金佐鎮(キム・ジャジン)、洪範図(ホン・ボムド)の指導力と並び「武器」にあったとみて、この分野を掘り下げた。日帝が作った情報報告書のような文書が大いに役立った。「戦いの勝敗と関連する武器の情報を誇張したり無視したりはしないので、逆説的に、事実に近接する側面があります」。
三・一運動前の時点では、独立軍を養成していた新興武官学校の生徒らが木銃で練習する程度で、環境は劣悪だった。しかし1920年ごろになると、鳳梧洞の戦いの主役である北路軍督府は小銃900丁、爆弾100個、拳銃200丁に加えて機関銃も2丁備えていた。独立軍の小銃はロシア製のモシン・ナガン、日本製の有坂30年式・三八式、ドイツ製のモーゼルなどで、拳銃はベルギー製のナガン、ドイツ製のモーゼルやルガーP08、長小銃はオーストリア製のシュタイアーM95、機関銃はロシア製のPM1910マキシム、手りゅう弾は英国製ミルズ型のものだった。
これらの武器類を、独立軍はどのようにして入手できたのだろうか。国際的な状況が非常に有利な方向へと展開した。朴教授は「ロシア革命後、1918年から22年まで赤軍(革命勢力)と白軍(反革命勢力)の間で展開したシベリア内戦のとき、性能の良い武器が沿海州地域にどっと出てきた」と説明した。