亡国の軍隊…チェコ軍の銃を買い、青山里の勝利を成し遂げた

 その中でも代表的な友軍は、故郷に戻るため反対方向へと地球を回っていかなければならなかったチェコ軍団だった。チェコ軍団は第1次大戦時、オーストリア・ハンガリー帝国の一員としてロシア戦線に動員されたが、祖国の独立のため、投降した後、銃口の向きを変え、チェコを支配してきたオーストリアと戦闘を繰り広げた。ロシア革命が起こると、欧州に戻るため鉄道でシベリアを横断し、ウラジオストクに到着した。

 今や船賃を切に必要とする一方、武器はもはや必要なかったチェコ軍団の前に現れた人々が、韓国の独立軍だった。独立軍はチェコ軍団から少なくとも5万丁の銃を買った。大部分は、第1次大戦当時ロシア軍の主力歩兵小銃だった7.62ミリのモシン・ナガンだった。銃を撃った後、銃身後方のボルトを手動で後退させて排莢(はいきょう)し、再び手でボルトを押し込んで装填(そうてん)する、当時としては画期的な「ボルトアクション装填式」の銃だった。独立軍は命を懸けて、沿海州と間島の間の険しい山岳地帯を越え、これらの武器を運んだ。運搬隊の人員が1500人に達するときもあった。

 朴教授は「武器供給がどれほど多かったとしても、金がなければ買えなかった」と語った。当時、モシン・ナガン1丁は銃弾100発と合わせて35ウォンだったが、これは労働者の1年分の労賃に匹敵した。「そこには同胞らの血と汗がありました。国内外の地主・資本家から基層民衆に至るまで、日帝の目を避けて軍資金を出したんです」。

 1920年代初め、チェコの骨董(こっとう)品マーケットに突如として韓国産の金のかんざし、金の指輪、袱紗(ふくさ)、真ちゅうの「おまる」が流れ出た-という記述は涙を誘う。朴教授は「同胞が力を合わせて集めた品々まで、武器の代金として使ったということ」と語った。つまり、アジア通貨危機当時の「金集め」に劣らぬ国民的声援が、鳳梧洞・青山里の勝利の土台になったというわけだ。

兪碩在(ユ・ソクチェ)記者

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  • ▲独立軍の使っていたロシア製PM1910機関銃の写真を持って説明する朴桓・水原大学教授。/写真=キム・ジホ記者

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