京畿道と江原道の道民が北朝鮮の報復を恐れているのなら、韓国政府は当然、必要な保護措置を取るべきだ。自由もまた時には制限すべきということも明らかだ。しかしこの事案の問題は、別のところにある。北朝鮮を交渉のテーブルに復帰させるという韓国政府の根本的目標に戦略的観点が欠けている、という点だ。北朝鮮を対話に引き入れたいというのは良いアイデアのように見える。だが、本当にそうだろうか。事実を言えば、北朝鮮は和解に関心がないというのは極めて明白だ。数十年努力したが、何も変わらなかった。南北対話は、北朝鮮の価値観が変わらないといかなる目標にも到達し得ない。必然的に金日成(キム・イルソン)の遺業に逆らうということが伴うが、彼の孫にそんなことはできないというのを、今では全ての韓国国民が理解するようになったと思う。
そんな価値観の変化が生じるまでは、南北対話の目的とは、簡単に言えば戦争を防ぐことだ。防御のためのものという意味だ。そしてこの総体的防御には、軍事的にだけでなく、韓国の民主主義を損なわないことも含まれる。北朝鮮との真の和解は、必ず民主的価値に基づいて行わなければならず、韓国自ら民主的価値を守ることができなければ、真の和解の価値もまた損なわれるのだ。
もし文大統領が金正恩(キム・ジョンウン)に「韓国の体制では国民の権利を保護しており、私が望んでいるからといって全てはできない。私は法に従わなければならない。それが民主主義だ」と語ったら、対話の再開はできないだろうが、韓国の価値を強化し、独裁者を教育したことだろう。先まで見通すと、このようにやることの方が重要だ。