ところが、今回の事態は単なる批判にとどまらず、創作者の創作活動まで制約しようとする感情が入り交じった反応として出ていることについては、深刻に受け止める必要がある。これまで映画、ドラマ、そしてウェブ漫画に至るまで、「クッポン(過度な国粋主義・愛国主義を皮肉ったインターネット上の新語)」世論や極端なフェミニズム勢力は、自分たちの口に合わない創作者に圧力を加え、反省文を書かせる姿を時折見せてきた。
このような姿は、我々が批判してきた中国の姿と変わらない。外国人が中国文化に対して気に障る発言をすると、突然愛国主義的なムードがわき起こり、外国企業に対して不買運動を展開、物理的な暴力を行使することもあった。そして、該当の企業は泣く泣く反省文を書いた。
想像力に足かせをはめ、自己検閲を強要すれば、創作者は非難されないようクッポンとポリティカル・コレクトネス(政治的正当性)主義のコンテンツしか作らなくなる。そして結局は韓国が誇る映画やドラマ、K-POPも昔に逆戻りするしかない。
哲学者のフリードリヒ・ニーチェは「怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい」と言っている。
歌手イ・ヒョリは昨年、あるバラエティー番組で「芸名でマオはどうですか?」と発言、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の個人アカウントに中国のネットユーザーたちから「毛沢東(中国語読みでマオ・ツォートン、元中国国家主席)を侮辱した」というコメントが20万件も寄せられる「テロ」に遭った。
食卓に中国式ギョーザが載ったドラマのワンシーンに、今回のようにこぞって興奮する珍現象は、いくら考えても理解しがたい。我々も既に愛国主義の怪物になってしまったのではないだろうか。
キム・チャム社会部長