このシーンを描写した安権守の冒険談を聞いてみよう。
「二塁で相手の守備位置を確認し、いざと言う時はホームに突っ込むと決めました。不規則なバウンドなど予期せぬ事態が発生するからです。三塁に向かって走った時、(コ・ヨンミン)コーチが腕をぐるぐる回していたので、自信を持ってホームまで走りました。アウトのタイミングでしたが、ボールが飛んでくるのを見た瞬間、相手に左手を見せ、右手で勝負しようと思いました」
斗山の金泰亨(キム・テヒョン)監督は試合後、安権守の好判断による走塁プレーを賞賛した。
大勢のファンの目の前で名場面を生み出してくれた安権守とはどんな選手なのだろうか。安権守は埼玉県出身の在日韓国人3世で、日本名は安田権守(やすだ こんす)だ。
日本野球ファンたちは、彼の名前は覚えていないとしても、「腕立て王子」と言えば「あ~、あの選手か」と気付くかもしれない。
早稲田実業高校在学時代の2010年、安権守は全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)で打率4割(15打数6安打)を記録、チームをベスト4まで導いた。当時、柔らかな打撃をするために腕の力を抜くとして、ネクストバッターズサークルで「腕立て伏せ」をする姿が取り上げられ、「腕立て王子」と呼ばれるようになった。
名門の早稲田大学に進学したが、1年足らずで個人的な理由により野球部をやめた。それでもグラブは手放さなかった。
専用球場一つない独立リーグチーム武蔵ヒートベアーズでプレーしていた時、中日ドラゴンズ入団説まで浮上したが、夢を果たせなかった。2016年に早稲田大学社会科学部を卒業した安権守は結局、日本の社会人野球団カナフレックスでプレーを続けた。
球よりコンクリートと格闘する時間の方が長かった時代だった。安権守は地面の下にパイプとパイプをつなぎ、電気が流れるようにするコンクリートパネルを作る仕事を主にしていた。