より重要なことは米ソによるその後の軍政統治がいかに展開したかということだ。それは政治活動の自由という面では明らかに違いがあった。米軍政は共産党を含む全ての政党を合法化したが、ソ連軍政は共産党を除く全ての政党を不許可にした。つまりソ連こそ占領軍だったのだ。分断の画策もソ連が先に行った。スターリンは1945年9月の指令書で南北の分断を指示し、1946年2月には北朝鮮臨時人民委員会という事実上の「北朝鮮単独政府」を樹立した。ある学者は「ソ連軍の布告文は最近であれば公正委から虚偽・誇張広告として制裁を受けていたはずだ」と舌打ちする。
米ソによる布告文の一部についての単純比較は、かつて「左偏向教科書」と批判されたクムソン出版社の「韓国近・現代史」が掲載し物議を醸した。これには2004年に学界から強い問題提起があり、さらに当時の教育部(省に相当)からの勧告を通じて2008年に修正され、その後の教科書は二つの布告文を示す場合でも米軍の布告については「適当な時期に朝鮮を解放・独立させるという連合国の決定が含まれている」との文言を提示、あるいは当時の状況を理解できる追加の説明が入れられるようになった。ところが大韓民国光復会長は突然、幼い生徒たちの前で時計を17年前に逆回転させた。1945年にソ連軍のある政治将校が行った宣伝扇動が韓半島において76年にわたり影響力を持ち続けてきたということだ。
兪碩在(ユ・ソクチェ)記者