-あなたはどうやってデザイン界で人脈を築いたのか。
「指の先ほどのUSBメモリーがきっかけだった。2009年に原研哉氏が訪韓すると聞いた。通訳を担当したデザイン界関係者にわたしがデザインしたUSBメモリーと名刺を渡してほしいと頼んだ。しばらくして、原氏は東京で会おうと言ってきた。その後、原氏の推薦で無印良品のプロジェクトを担当。ニューヨーク・トリエンナーレに参加し、世界的なネットワークづくりの扉が開かれた。USBメモリー一つが私の人生を変えたことになる」
-それでも海外では韓国ブランドの価値が向上したではないか。
「K-POPのせいで陽気(playful)でダイナミックなイメージでだけ印象づけられたのは残念だ。本質を考える『格調ある文化』も考えるべき時だ」
-25年間で目撃した韓国のデザインの変化は?
「1997年につくった『カクトゥギフォン』は本当は技術力不足の産物だった。『デッドスペース』(機能に不必要な空間)が多ければ技術が必要だ。それを最小化しようとした結果、直方形の形状が生まれた。今や技術力は世界的水準になった。しかし、依然多くの企業で『地位』が『デザイン決定権』として働く。スティーブ・ジョブズのレベルの審美眼を望んでいるわけではない。実務担当者の感覚に上司が付いていけないケースが大半だ。企業間でデザインの二極化も深まった。だからカネにはならなくてもスタートアップを助けたい」
会社を辞め、最初のプロジェクトはスタートアップ「ドット」でつくった視覚障害者用スマートウォッチだった。点字を洗練された形で浮き彫りにしたところ、視覚傷害を持つ歌手スティービー・ワンダー。声楽家のボチェッリも顧客になったという。
-韓国のデザインの未来は明るいか。
「韓国のMZ世代(ミレニアル世代とZ世代)の感覚と実力は同世代の世界最強ではないか。私たちのころは文化事大主義が強かった。ブランドをアピールしたものが、今は趣向をアピールする。ただ、インスピレーションの『食べ過ぎ』は問題だ。インターネットで流れるイメージからもアイデアを得る傾向がある。じっくりと感覚を定める知恵が必要だ」
キム・ミリ記者