「韓国的」という単語は再び恥ずかしい言葉になるのか【コラム】

300万ウォンの現金封筒が食事代という民主党、50年前の町役場にも及ばない
革命しか代案がないとすれば不幸、革命も不可能ならばより不幸

 その奇跡が崩れようとしている。「単語」の運命は、時には予言者の啓示のように国の未来を描いている。最近使用される「韓国的」という言葉は、以前の「不明瞭で」「恥ずかしく」「隠したかった」過去の牢獄(ろうごく)に、再び収監させる道を歩んでいる。「韓国的民主主義」は停滞・混乱と同義語になりつつある。「世界史上最低」という韓国的出生率の絶壁は、消え行く国の姿をほうふつとさせる。総長・学長の直選制に汚染された大学は、下向きの平準化に向かって滑り落ちている。

 偽りを装って捜査機関に告訴・告発する虚偽告訴や、法廷で虚偽証言をする偽証、詐欺の類型と件数も、世界最高水準に迫りつつある。虚偽告訴・偽証・詐欺を束ねる土台が「うそ」という単語だ。島山アン・チャンホ氏が「死ぬことがあってもうそだけはやめよう」と声を枯らすほどに訴えた100年前の世の中に後退している。

 国民が持つ長所を最大限に発揮させれば、国はさらに高い次元へとアップする。好調だった頃は長所の陰に隠れていた短所が大量に露出すれば、国は回復不能な状態へと落ち込んでいく。政治は、長所が発揮されるように促し、短所が表に出ないよう抑制する役割を果たさなければならない。偉大な政治は国民の短所さえも長所として機能させる。アデナウアーとドゴールは、ドイツとフランスの国民の弱点を長所に変え、花を咲かせた指導者だ。国民の短所を政権維持や政権奪取のために利用する政治は最悪の政治なのだ。

 共に民主党の李在明(イ・ジェミョン)代表によるうそは、もはや目新しいニュースではなくなった。彼が本当の言葉を語れば「数年ぶりに語った本当の言葉」と、むしろ逆にニュースになってしまうのが現実だ。民主党は「全党大会で配った300万ウォン(約30万円)の現金封筒は食事代に過ぎない」とし「大したことではない」と何食わぬ顔で騒ぎ立てている。50年前の町役場にも及ばない程度にまで後退してしまったのだ。執権勢力は旧約聖書の中のイザヤを名乗る牧師に振り回され、無力で無対策の中、総選挙で「李在明という僥倖(ぎょうこう、思いがけない幸運の意)」が現政権にとって都合のいい方向へと作用するよう期待するだけで、国民からは遠ざかってしまった。

 「国民しか希望がない」という言葉は絶望的だということを物語っている。革命しか代案がない政治は不幸な政治だ。しかし、革命さえ不可能な政治はさらに不幸な国をつくる。足元が崩壊し始めているのだ。

姜天錫(カン・チョンソク)顧問

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  • ▲写真=宋永吉(ソン・ヨンギル)元代表/NEWSIS

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