6・25戦争開戦から73年…93歳参戦勇士の涙【寄稿】

韓東勲法相に渡した紙片
「認識番号も階級もなく北に潜入したが、休戦のせいで戻れなかった同志たち…」
現在享受している自由・平和に感謝

6・25戦争開戦から73年…93歳参戦勇士の涙【寄稿】

 大学へ通っていたころ、同じ年ごろの男子学生らは「兵役を逃れる方法、防衛(防衛招集制度に基づく防衛兵。服務期間は18カ月で現役兵より短かった)にでも行く方法」をしばしば話題にしていた。結婚して子どもが生まれたら軍免除だ、子ども1人では駄目で2人生まれてようやく免除だ、肥満だったり目が悪かったりしたら防衛だ、などなど。軍隊に行かなかったり、少しでも短く済ませたりする方法についての情報交換は、男子同窓生らの重大な関心事だった。集まりさえすれば軍隊を避ける話をしている様子を見ながら、しかし、「あの人らは男に生まれてほんとに駄目だったんだな」と思ったことは一度もなかった。1980年代のあのころは、新入社員の公開募集に「男子のみ選抜」と書いてあった時代、“トラがたばこを吸っていた”大昔だった。面と向かって言ったことはないが「30カ月務めさえすればいいのに、随分と大げさね。私たち女は生涯を2等国民として生きるっていうのに」と、心の中ではおかしく思っていた。

【写真】KLO部隊出身の李昌健・元韓国原子力学会会長が韓東勲法相に渡した手紙

 あのころの男子同窓生に向けた自分の冷笑を心から悔いたのは、1997年に生まれた自分の息子を軍隊に送るときだった。暑くなり始めた5月の太陽の下、訓練所の練兵場に立っていた私たちの息子。いずれも自分の息子のようにハンサムで、まだ子供っぽさの残る男の子たちが、恐ろしさと不安のありありと浮かんだ顔で並んで立っていた。その様子は、何年たっても、今でも目に浮かぶ。「行ってきます」という言葉を何度も繰り返しながら私の手をぎゅっと握る息子の手から伝わって来た、じめじめとした汗の感触も、きのうのことのように生々しい。

 6・25戦争開戦73周年を迎えた6月25日、ニュースで国連軍戦没勇士およそ2300人が眠る国連記念公園を見ていて目頭が熱くなった。入隊した日の息子のように、緊張で冷や汗がにじんだ拳を握りしめ、異域万里の遠い国へやって来た19、20歳の彼ら。一つだけの命をここで失い、永遠に家へ戻ることができない男の子たちが、あまりにもかわいそうだった。どこにあるのかも知らなかったであろう国で起きた戦争のせいで息子を失い、残りの生涯を悲しみに暮れて過ごした両親のことを思うと胸が詰まった。

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