ここで、「日帝がわざと韓国の地名を操作した」という疑いをかけられた、ある地名が思い浮かびます。
それは、ソウルの仁旺山です。
おおむね、こういう内容の俗説です。仁旺山の漢字表記は元来「仁王山」が正しいのに、日帝時代に日本人が無理やり「仁旺山」に変えた、というのです。なぜ? 「旺」の字を分かち書きすると「日王」になるからだといいます。だから光復後、「仁王山」に改めたというのです。これが事実だと思っている人はかなり大勢います。しかし…
『英祖実録』1762年(英祖38年)5月26日、日照りのただ中だった時期の記録を一度見てみましょう。
上(しょう)…親しく祭文を製し、承旨を遣わして木ベキ(不の下に見の字。覓の異体字)、仁旺山及び漢江にて雨を祈らしむ。 (上…親製祭文、遣承旨祈雨于木ベキ、仁旺山及漢江.)
英祖実録は朝鮮総督府で作った文書ではありません。仁王山は実際に仁旺山とも書かれたので、仁旺山と書いたのです。これだけではありません。『承政院日記』では仁旺山と表記した例が102回も見つかるといいます。朝鮮王朝後期において既に「仁王山」と「仁旺山」の表記を併用していたというのが正しいのです。実際、1910年以降にも二つの表記は共に用いられていました。「旺」は「旺盛である」という意味で、朝鮮王朝実録中のおびただしい人名・地名でよく使われていた字でした。
もう一つ、決定的な根拠があります。「日王」は日本では公式な名称ではないという点です。本当に朝鮮総督府が意図的に「旺」の字に変えたのだとしたら、自国の政府から問責を受けかねなかったのです。
では、ついでにこの話もすべきでしょう。
こんな話をお聞きになったことがあるでしょう。空からソウル市内を見降ろすと「大」「日」「本」という字が北から順に見える、という話です。だから「大日本」になるというのです。「大」は北岳山、「日」は総督府(中央庁)、「本」は京城府庁(ソウル市庁)の建物で、わざわざそういう風に建てたというのです。
これも、今まで、事実だろうと思っている方がわりと大勢います。ですが、この話は果たして本当なんでしょうか?