大韓民国は、その出発から、新たな国際秩序の産物だったというわけだ。これは、大韓国民が大韓民国を形成してきた歴史を振り返ってみると一層はっきりする。韓国という国は新たな国際秩序が作りだした最初で最高の作品なのだ。
解放された韓半島に単一政府を樹立するため2度にわたって開かれた米ソ共同委員会は、結局、失敗に終わった。米国は1947年10月、国連総会に韓半島問題を上程した。そうしてオーストラリア、カナダ、中国、エルサルバドル、フランス、インド、フィリピン、シリアの8カ国の代表で構成される国連臨時朝鮮委員会(UNTCOK)が1948年1月9日、ソウル入りした。
単独選挙を通して新たな政府を実現する道は、決して平たんではなかった。左派系列の政治・社会諸団体は選挙ボイコットにとどまらず、暴力とテロで新政府樹立を妨げようとした。UNTCOKが38度線以北に行けないのはソ連の反対のせいだったが、「国連はひたえに米国のかいらいでしかなく、だから分断の責任は米国にある」と無理な主張を叫んだ。
韓国戦争が起きると、国連加盟国中21カ国が軍隊の派遣を申請し、そのうち16カ国が実際に兵力を差し出した。逆に、北朝鮮の側で戦争をした国はソ連と中国だけだった。国連の選挙で作られた国・大韓民国は国連の戦争で守られた国でもあったのだ。
こんにちの現実に立ち戻ってみよう。IAEAは原子力の軍事的利用を防ぎ、平和的利用を奨励する国際連合傘下の独立機関だ。大韓民国は1956年から創設加盟国として加入している。逆に北朝鮮は、IAEAとコインの裏表の関係にある核拡散防止条約(NPT)について「不拡散体制はひたすら米国の立場のみを代弁してきており、非核諸国に対する干渉手段としてこの条約機構を活用している」と不満を見せていたもので、最終的にはNPTとIAEAいずれも脱退してしまった。
IAEAを信用できないと言い張る人々を見ると、ふと気になることがある。あの人々は国連の主導した制憲国会議員選挙をどのように考えるのだろうか? IAEAが日本政府に買収されたという陰謀論と、国連が米国のかいらいであって大韓民国に「正統性」はないと非難する「解前史(解放前後史の認識)」の世界観を、別個のものと見ることができるだろうか?
ノ・ジョンテ経済社会研究院専門委員(哲学)