セマングム世界スカウトジャンボリー、隊員たちが開けた大韓民国の「パンドラの箱」【コラム】

「前政権・現政権のせい」は天に向かってツバを吐くようなもの
自治体が欲を出した干拓事業で無能・無責任の三流・四流が組織委を指揮
全世界にばれたことでかえって希望が持てるようになった

 ボーイスカウト・ガールスカウトの祭典「第25回世界スカウトジャンボリー」に参加したスカウト隊員たちが全羅北道扶安郡の干拓地・セマングムで汚いトイレの便器のふたを開けた瞬間、私たちが隠していた「パンドラの箱」が開いたかのように、ちぐはぐ・無能・無責任が津波のように押し寄せた。成功にも失敗にもハッキリとした理由がある。その理由を正確に診断してこそ改善の余地もあるというものだろう。一次的責任は組織委員会にある。組織委は限られた時間内で官民や有形・無形の資源を総動員し、成果を出すことになっている。だから、成功するかどうかは組織委員長のリーダーシップにかかっている。

【写真】韓国ネットで話題になった会場トイレ韓日比較

 32年前の1991年に江原道高城郡で開催された「第17回世界スカウトジャンボリー(以下、高城ジャンボリー)」は30代後半で過去最年少の韓国ボーイスカウト連盟総裁になった金錫元(キム・ソクウォン)双竜グループ元会長が1985年に招致した。金錫元氏は江原道高城郡・雪岳山のキャンプ地を数え切れないほど回りながら準備状況を点検した。そして、運営スタッフたちにはジャンボリーの精神を教えた。共同組織委員長は江原道知事だった。地方自治制施行前なので、準備の6年間で官選の道知事が3人携わった。最高の専門家が主導し、政府は一貫して支援を続けた。高城ジャンボリーは物事の本質に忠実だったおかげで成功した。

 セマングム・ジャンボリーは目的も主体も違っていた。主導したのは全羅北道の政治家たちだ。このころ、民選自治体首長の間で、国際イベントを招致することにより韓国中央政府からインフラ予算を獲得する開発モデルが流行した。全羅南道は2012年の麗水国際博覧会(エキスポ)、江原道は3度目にして2018年の平昌冬季五輪を招致した。一足遅れでこの流行に乗ろうとした全羅北道は、1982年にアジア太平洋地域ジャンボリーの開催経験がある全羅北道茂朱郡を押しのけ、セマングム開発のため干潟に世界スカウトジャンボリーを招致した。時間が差し迫っていたため、韓国政府は土地の用途まで変更し、干拓資金を提供した。しかし、全羅北道の実行力は不十分だった。1年前にプレ・ジャンボリーも開催されなかった。ジャンボリーが終わって簡易施設が撤去されたが、広い用地は特に使い道もない。不動産開発詐欺、分譲詐欺も同然だ。

 セマングム・ジャンボリーのずさんな運営が明らかになると、李洛淵(イ・ナギョン)元首相は平昌冬季五輪の成功を文在寅(ムン・ジェイン)政権の成果であるかのように自慢した。だが、成功の理由は全く違う。政権交代から五輪まで時間があまりなく、前政権で任命した組織委員長を交代させられなかったおかげで成功したのだ。平昌冬季五輪は官民共に経験豊富で有能な官僚出身の李熙範(イ・ヒボム)元産業資源部長官が2016年から単独で組織委員長を務め、責任を持って準備した。一方、2020年に発足したセマングム・ジャンボリー組織委員会は、約1年単位で替わった女性家族部長官と、仕事をせずに空世辞ばかりの国会議員という2人が共同組織委員長だった。カカシ同然だ。その下に女性家族部局長出身の事務総長と地域利己主義から抜け出せない民選自治体首長(全羅北道知事)が執行委員長として準備に携わった。故・李健熙(イ・ゴンヒ)サムスングループ会長の言葉を借りれば、三流公務員と四流政治家の集合体だ。現政権は遅まきながら組織委員長を3人追加したが、問題が解決できるはずがない。当初の用地選定からもめていたセマングム・ジャンボリーは、組織委に「李熙範のリーダーシップ」も、恥ずかしい実態を弥縫(びほう)策で覆い隠す助っ人もなく、破たんに追い込まれた。

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  • ▲8月2日に全羅北道扶安郡の干拓地・セマングムで開幕したボーイスカウト・ガールスカウトの祭典「第25回世界スカウトジャンボリー」のスカウト隊員たち。相次ぐ猛暑で体調を崩して倒れ、横になって休んでいた。写真=キム・ヨングン記者

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