凶悪犯罪は社会活動の副産物だ。人間が暮らしている場所で、人殺しがないところはない。それでも、凶悪犯罪は明らかに減少傾向にある。詐欺、窃盗は犯人の検挙率が60-70%だが、殺人(96%)、強姦(ごうかん、94%)など5大凶悪犯罪の検挙率は90%を超える。それでもこう言う。「ほら見ろ、4%は捕まえられなかったってことだ」。犯行をあらかじめ防ぐことができなかったという非難を、メディアも安易に行う。
「恨(ハン)の民族」という言葉は消えたが、その空席に「被害の民族」が入り込んだ。被害者への哀悼を超えて「私も被害者」だと信じてしまう人の数は次第に増えるばかり。被害の民族が復讐劇を嫌うとしたら、むしろそのほうが異常だ。
「ヒーリング・バラエティー」「グルメ・バラエティー」を代替する流れにあるのが「犯罪バラエティー」だ。犯罪がどうして「バラエティー番組」になり得るのだろうか。それが可能なのは、あらゆる犯罪を「スリラー」のように扱うからだ。ユーチューブ、地上波、ケーブルテレビを問わず、作法は同じ。罪なき被害者と悪辣(あくらつ)な捕食者という構図に加えて、結論は「この純潔なる被害者のように、あなたもやられてしまうかもしれない」。既に知っている事件も、番組で見るとぞっとする。映像は呪術だ。
「これは被害者の過誤」「加害者側は状況はこうだった」という話は絶対にしない。「被害者が間違っていたというのか」「加害者に叙事を付与している」という抗議が殺到するからだ。フェミニストらが主張する「被害者中心主義」の概念を、一般犯罪にまで誤って適用した結果だ。事件を解剖して「生きていく教訓」を得るのではなく、「恐怖のとりこ」になった。
「犯罪バラエティー」は、共同体を「加害者予備軍」と見なし、女性や弱者を家に隠れさせる。弱者を心理的に、物理的に委縮させる「悪い教育」だ。そのせいで「不安市場」は日に日に拡大し、セキュリティー・護身用品にとどまらず「通り魔保険」まで登場した。「私的復讐劇」は、その不安市場の「客引き」や「清掃人」なのだろう。
朴垠柱(パク・ウンジュ)副局長兼エディター