関東大震災100年:「善良な日本人、集団に埋没して暴走…それが虐殺であり戦争」

関東大震災当時の「福田村事件」、日本で9月1日に映画公開…森達也監督インタビュー

「関東大震災が起きた5日後、千葉県の福田という小さな村に日本人の行商人15人がやって来ました。村の人々は、一行を朝鮮人だと勘違いし、幼児や妊婦を含め9人を殺害しました。殺害現場には数百人の村人が集まったといいます。個人では善良な日本人たちが、集団ではどれほど残酷であったかを伝えたいと思いました」

 8月30日、東京都内のオフィスで、実話をベースにした映画『福田村事件』を製作した森達也監督と会った。同作は1923年、関東大震災当時の狂気が作り出したゆがんだ日本史を取り上げた。大震災直後、「朝鮮人が暴動を起こした」という流言飛語で数多くの朝鮮人が虐殺される中、一部には日本人被害者もいたのだ。『福田村事件』は、関東大震災100年となる今年9月1日、日本国内の映画館およそ100カ所で公開が始まった。10月に開かれる釜山国際映画祭にも招待された。

 森監督は、事件について「集団殺人にもかかわらず、裁判で8人が宣告されたのは数年から10年程度の刑で、それすら3年後には全員釈放された」とし「福田村の住民らは金を出し合って殺害犯の裁判の弁護士費用を賄い、その後も支援を行った」「殺害犯らを『村を守った英雄』と見る村人もいたようだ」「結局のところ、現場にいた数百人の住民は全て共犯であり加害者だった」と語った。

-当時、(朝鮮人は正確に発音するのが難しかった)「じゅうごえん(十五円)」の発音をきちんとできないと虐殺されたというが。

「遠い四国の香川県から来た行商人のうち、9人が自警団によって殺害された事件だ。千葉県の小さな村落である福田の人々は普段、朝鮮人と会うことはなかっただろう。四国の方言を聞いて、朝鮮人と勘違いしたのだ。行商人らは、自分たちは日本人だから助けてくれと言い、君が代を歌った。村の自警団は、うそだと言って殺害した」

-この事件は、明白に裁判記録がある事実だ。

「8人が殺人罪で起訴された。千葉県の現地紙も記事を書いた。当時、朝鮮人を殺害した事件の裁判も何件かあったが、全て執行猶予だった。しかし福田村の加害者らは全員、実刑の言い渡しを受けた。彼らは3年後に全員釈放された。村の人々は金を出し合い、弁護士費用を賄った。それとなく、自分自身も共犯だと認識していたのだ」

-村の人々はなぜ『朝鮮人は殺してもいい』と信じたのだろうか。

「当時、日本は植民地として併合した朝鮮人から土地を奪って支配し、2等・3等国民扱いをしながら、一方では後ろめたかったのだろう。当時、日本の警察権力の上層部は、直前に朝鮮総督府で勤務していた人々で、三・一運動を経験した。朝鮮人が暴動を起こすのではと、心の中では恐れていた。安重根(アン・ジュングン)が伊藤博文を暗殺したことも、当時の日本の支配勢力にとっては衝撃だっただろう。朝鮮人を見下しつつも恐れていたのだ。関東大震災が起きて内閣が朝鮮人暴動説を波及させ、混乱と恐怖の中、日本人の間で一気に火が付いた」

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  • ▲日本映画『福田村事件』は、1923年の関東大震災当時、日本人9人が朝鮮人と誤認されて同じ日本人らによって殺害された事件を題材にしている。関東大震災100年に当たる今年9月1日の映画封切りを控えた森達也監督(67)。/写真=成好哲・東京支局長

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