「政治とスポーツは別」という理想も政治がつくった【書評】

 西欧に押さえ付けられていたアジア各国の連帯を名分として1951年、第1回アジア競技大会が行われた。1950-60年代には国号の表記などを巡る韓国・北朝鮮、中国・台湾の代表性競争が激しく展開した。文化大革命を経験した中国が国際スポーツに復帰した70年代を経て、80年代からは統合の動きが始まった。例えば、韓国と中国はこの時期、「中共」と「南朝鮮」の代わりにそれぞれ公式な国号で相手を呼び始めた。86年(ソウル)と90年(北京)アジア大会の成功にお互いが必要だったからだが、相互尊重は冷戦の終息と合わさって92年の韓中国交正常化につながった。

 2000年代に入り、南北がスポーツで和合する様子がしきりに演出された。02年の釜山アジア大会での共同入場が代表的な場面だ。しかし、問いが残る。スポーツは分断を克服できるのか? 18年の平昌冬季オリンピック当時、金与正(キム・ヨジョン)をはじめとする北朝鮮の最高位層が訪韓したが、その後の南北関係を見ると、答えは否定的なものにならざるを得ない。しかし、純粋なスポーツという理想は依然として放棄できない。未実現状態のその理想が、逆説的に、抱擁と連帯という価値の重要性を想起させ続けるからだ。

■変わらない汗の価値

 9月23日、杭州アジア大会が公式に開幕した。人々は、歴代最多となる1万1970人の選手たちが繰り広げる協議に熱狂するだろう。スポーツに介入する政治とは別に、汗の価値を尊重しているからだ。

 『スウェット』は、その汗を端緒として運動の歴史を探求する。米国のフリーランスの作家で、「医学界の桂冠詩人」オリバー・サックス(1933-2015)のパートナーだった著者は、ジムでステップミルマシンを使っていて、汗と運動の起源について好奇心を抱いた。気になったことを解消するため、時代や分野を超えていった。卓越さの証しとして優勝選手の汗を高値で売っていた古代ギリシャ社会を歴史的に考察し、汗腺の構造と発汗のプロセスを進化論的に考察し、女性たちに自由と独立の感覚を持たせた淑女用自転車と女性参政権拡大の関係を政治社会学的に考察した。

 オリンピアの競技場(スタディオン)遺跡で著者が思い浮かべた古代ギリシャの詩句は、排せつ物に過ぎない汗の意味を再考させる。「技量を証明されたのだから/空中を飛ぶように歩きつつ/心の中で/巨万の富よりさらに甘い計画が芽生える」。汗は鍛錬と忍耐、高揚の別名でもある。

チェ・ミンギ記者

【写真】高嶋航著『スポーツからみる東アジア史』(左)、ビル・ヘイズ著『スウェット』

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