2004年、天皇家の関係者が武寧王陵を訪れた後、忠清南道公州市に香炉と沈香を寄贈した。それから20年がたち、この品々が行方不明になっていることが判明した。2001年に、当時の天皇が「天皇家の母方は武寧王の子孫」だと明かしたことがある。いつ無くなってしまったのかすら把握できない公州市は、警察に通報もせず、「紛失した寄贈品を見つける努力を続けていく計画」とのみコメントした。
■事件の始まり
2004年8月3日、当時の天皇のまたいとこに当たる朝香誠彦氏が公州の武寧王陵を訪れた。旧皇族としての非公式訪問だった。
随行員を含め3人の訪問団は王陵の内部に入り、武寧王に祭祀(さいし)をささげた。一般人の出入りが制限されている王陵内部が、一行のために開放された。朝香氏一行は焼香して菓子を祭物としてささげた後、皇室の礼法にのっとって三拝した。香炉と香、そして菓子は、一行が日本から持ってきたものだった。香炉は磁器、香は沈香で、皇室において数百年所蔵してきた香だという。
祭祀が済んだ後、朝香氏は「博物館や武寧王陵などに展示して、大勢の人が見ることができるようにしてほしい」と、香炉と沈香を公州市に寄贈し「帰国後、訪問の結果を天皇に細かく報告するつもり」と語った(2004年8月5日付ハンギョレ、同6日付朝鮮日報など)。公州市は、寄贈された香炉と沈香を武寧王陵展示館のガラスケースに収めて展示した。
■公州市が明かした顛末(てんまつ)
ところがその祭需品(祭祀用供物)が、ある日、跡形もなく消えてしまった。公州市は、香炉と香がいつ消えたのか、盗難なのか紛失なのかすら把握できずにいる。以下は、記者の電話取材に応じた公州市文化財課の、失踪の過程に関する釈明だ。
「率直に言って、行方不明の事実は後になって知りました。展示改変の過程で、管理不十分により無くなったもののようです。展示目録にも上げておらず、記録もなく、写真もありません。武寧王陵展示館の展示改変の過程で事務室に置いていたようですが、その過程でなくなったようです。展示館は模型を展示する空間なので、残念ですが収蔵庫もないんです。展示品が本物なら、体系的に目録化して管理しますが、そうではない面がちょっとあるんです。日本の寄贈品も、模型だろうと思って一緒に入れ替える際に無くなったんじゃないかと推測しています」
2019年7月16日、公州市ホームページの「開かれた市長室:市長に望む」掲示板に「日本の天皇家から公州市に寄贈した物品は見つかりましたか?」というタイトルの請願が載った。
「日本人にとって、彼らのルーツが韓国にあるという証拠かつ、歴史的な事件でもあるこの出来事において、公州市に届けられた香炉と沈香がかなり以前に消えてしまったといいます。(中略)当時の公州市関係者は、どこにあるのか分からないと、みんな叱られることばかり心配しているらしく口を閉ざしていました」