ウクライナから韓国に避難した高麗人「ロシア軍を避けてポーランドまで車で3500キロ…10日間死ぬ気で走った」

 高麗人たちの韓国入国を支援したアリランのキム・ジョンホン代表は「高麗人たちは容姿や文化を理由に、他の欧州国家より韓国を選ぶケースが多かった」「韓国は(避難してきた高麗人を)難民として認めてはいないが、成人は同胞ビザで働けるケースがあるため、子どもたちも親と一緒に韓国に来た」と説明した。

 しかし、韓国への道のりも容易ではなかった。韓国行きの飛行機に乗るためにまずはポーランドを目指したが、それすら簡単ではなかった。両親ときょうだいと共に韓国行きを決意したロマ・キルディシェさん(18)と、アーニャさん、ヤーナさんの家族がそうだった。キルディシェさんは「(ウクライナ東部の)ヘルソンが故郷なんですが、ヘルソンが占領されていてウクライナの西部には向かうことができず、ロシアが占領している南部のクリミア半島を経てロシアの領土を通過するしかありませんでした」と話した。こうして遠くにある自由を目指して、ウクライナの北東方向のロシア領地にまず入った。「ウクライナのナンバーを付けた車でロシアの中を走ったため、どこに行っても歓迎されませんでした。早くロシアを通過したいという気持ちで、休みなく4日間走り続けました」と話した。キルディシェさん一家は、ウクライナの領土と親ロシアのベラルーシの領土が遠くに見える地域などを走り、さらに西北方向に向かって走り続けてロシアを抜けた。その後、ラトビア、リトアニアを経てポーランドに向かった。走行距離は10日間で3500キロにも達した。韓国行きの飛行機では全員、泥のように眠った。

 苦労の末にたどり着いた韓国だったが、生活は困難だらけだった。韓国語はほとんど習ったことがなかった。そのため韓国の学校にも通えなかった。その代わり、ウクライナで通っていた学校のリモート授業を受けている。オデーサから両親ときょうだいと共に韓国に避難してきたパク・ナスージャさん(14)は「ウクライナ時間に合わせてオンラインで授業を受けているので、今でも昼夜逆転した生活をしています」として「今は長期休暇だけれど、時差ボケが直らず日の光を見ることに慣れていません」と話した。ウクライナに住んでいただけに、長期化する戦争は苦痛だ。

 家族が散り散りになり、生活はさらに苦しくなった。ニシャノフさんは「他の家族をルーマニアに残して祖母と韓国に来ることになったときは、自分が韓国で働いてルーマニアにお金を送ればいいと思っていました。でも、韓国に来てみたら、ビザなどの問題で働けませんでした」と話した。ニシャノフさんは「今は早く韓国語を覚えて自分が成人になるのを待つしかないです」と言った。

 こうした状況のため、家族のうち成人している1~2人が日雇い労働などで稼ぎながら高齢者と子どもの面倒を見ているという。子どもたちが学校に通えない中、親もそばにいられない時間が長い。キム・ジョンホン代表は「生活苦も問題だが、子どもたちが取り残されることはさらに問題」だとして「私たち皆が手を取り合い、この子たちが定着できるよう支援しなければならない」と話した。

チョ・ソンホ記者

#平和を願って

【写真】ウクライナを脱出して韓国にやって来た高麗人の若者たち

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  • ▲グラフィック=パク・サンフン
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