事実検証で揺らぐ「内乱」の構図【朝鮮日報コラム】

政界の介入と軍・国情院幹部の誇張された陳述

「戒厳=内乱」が確定事実であるかのように韓国国民の認識の中に刻まれた

 12・3戒厳が「内乱」だという枠組みが固まったのは昨年12月6日だ。戒厳宣布から3日後のこの日、郭種根(クァク・チョングン)特殊戦司令官(以下、肩書は当時)が進歩(革新)系最大野党「共に民主党」に所属する金炳周(キム・ビョンジュ)議員のユーチューブのチャンネルに出演し「(議事堂の)中にいる議員を外に引っ張り出せという指示を受けた」と証言した。泣き出しそうな顔まで見せた。国会に出動したキム・ヒョンテ707特殊任務団長も自ら記者会見を開き「(議決定足数である)150人を超えたら駄目」という指示を受けたと表明した。国会が戒厳解除を議決できないように防げよ、という尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領と金竜顕(キム・ヨンヒョン)国防相の指示があったという趣旨だった。

 同じ日、洪壮源(ホン・ジャンウォン)国家情報院(韓国の情報機関。国情院)第1次長が加勢した。洪次長はメディアのユーチューブチャンネルに出て「今回みんな捕まえてさっと全部整理しろ」という大統領の電話を受けたと明かした。防諜(ぼうちょう)司令官からは民主党の李在明(イ・ジェミョン)代表、保守系与党「国民の力」の韓東勲(ハン・ドンフン)代表、禹元植(ウ・ウォンシク)国会議長など15人前後を逮捕しろという要請も受けた、と語った。洪次長は、当時メモしたという逮捕リストも朴善源(パク・ソンウォン)民主党議員を通して「物証」だとして公開した。その後、李鎮遇(イ・ジンウ)首都防衛司令官などが「扉をおので壊してでも(国会の)中に入ってみんな引っ張り出せ」「4人が(議員)1人ずつ抱えて、背負って出てこい」という尹大統領の指示を受けたと供述した-という検察の起訴状が公開された。

 軍隊を動員して国会をまひさせようとしたのであれば、「国憲紊乱(びんらん)」という内乱罪の構成要件を充足する。その後、全ての政局の流れは「戒厳=内乱」を前提に進んだ。野党は半分以上を内乱容疑が占める大統領弾劾訴追案と内乱特別検察法を発議し、通過させた。与党を「内乱同調党」と決め付け、違う話をしたら「内乱扇動罪」で告発するとして「カカオトーク検閲」まで持ち出してきた。「さっとみんな捕まえろ」「おので壊して引っ張り出せ」というような大変な証言が出たところだったので、内乱は動かし得ない事実に見えた。

 高位公職者犯罪捜査処の強引な大統領逮捕も、その前提の上で強行された。捜査権論争にもかかわらず公捜処が現職大統領を逮捕できたのは、内乱という枠組みに乗ったおかげだった。裁判所が逮捕状を発布してやり、警察が令状執行に協力し、警護処の職員が抵抗を放棄したのも、内乱が既定事実のように刻印されていたからだった。大統領弾劾訴追案に与党の一部議員が賛成したのも、同じ理由だった。軍・国情院幹部らの暴露がなかったら、弾劾案の国会通過も、大統領の逮捕も、逮捕状の発布もどうなっていたか分からなかった。

 時間がたつ中で、状況は変わり始めた。憲法裁判所の弾劾審理が開始され、事実の検証が行われる中で、戒厳当事者らの証言が少しずつ変わった。金竜顕国防相は検察の起訴状の内容を覆した。「国会から排除しろ」と言ったのは「議員」ではなく「(特殊戦司令部〈特戦司〉の)要員」で、企画財政相が受け取ったというメモも大統領ではなく自分が作成して渡したと証言した。大統領から政治家逮捕を指示された事実もない、と言った。尹大統領を首謀者と決め付けた検察の内乱罪の法理を全面否定するものだった。

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  • ▲洪壮源・元国情院第1次長のメモ。/憲法裁判所の弁論映像より

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