仁川市内で12日、6・25戦争(韓国戦争)で死亡した中国軍兵士の遺骨が中国側に返還されたが、中国軍の輸送機や護衛機がこのような意味のコールサイン(作戦遂行時に呼ばれる別称)を使用したことが分かった。6・25戦争に対する韓国と中国の認識差は大きいが、中国は韓国の国民感情を考慮せず愛国主義の宣伝に乗り出したとみられる。
【写真】射撃姿勢そのまま…白馬高地の頂上で見つかった韓国軍2等兵の遺骨
中国の新華社通信によると、同日遺骨の引き渡しを受けた中国軍輸送機Y20には「渡河50(跨江50)」という名称が付いていた。これについて中国軍関係者は「1950年に鴨緑江を渡った抗米援朝(米国に対抗して北朝鮮を支援した戦争)に参戦した歴史をたたえるため」と説明した。輸送機を護衛した4機のステルス戦闘機J20も「凱旋(がいせん)」というコールサインを使った。輸送機と護衛機の名称を合わせると「1950年に鴨緑江を渡り、勝利して戻った」というメッセージになる。
韓国はつらい歴史にもかかわらず中国軍兵士の遺骨を返還したが、その場で中国が出したメッセージは適切でなかったとの批判が相次いでいる。中国軍兵士の遺骨返還は2013年の韓中合意を受け、両国の関係強化と戦争の傷を癒やすという趣旨で始まった。その後中国軍は毎年の返還式で輸送機と護衛機に別途名称などは付けなかったが、昨年の返還式で初めて「渡河50(跨江50)」のコールサインを輸送機が使用し、今年は護衛機もコールサインを使用した。中国国営中央テレビ(CCTV)は「今回の遺骨返還式では初めて5機の航空機からなる編隊が派遣され、祖国の英雄たちを最高レベルでもてなした」と伝えた。
米中の覇権争いが激しくなる中、中国が6・25を自国民結集の手段として過度に利用しているとの見方もある。中国は6・25を「米国に対抗し中国が勝利した戦争」と解釈し、愛国主義の宣伝に大々的に活用している。わずか十数年前までは中国の最高指導者が6・25を「残酷な戦争」と呼んでいたが、最近は「帝国主義による侵略拡大を抑止した」と強調している。
韓国政府は同日午前9時30分、仁川国際空港で韓国国防部(省に相当)遺骨発掘鑑識団と中国退役軍人事務部の関係者が出席する中、特別な行事をせずに中国軍に遺骨を引き渡した。今回中国軍兵士の遺骨30柱と遺品267点が引き渡されたが、これらは国防部遺骨発掘鑑識団が6・25戦争で戦死した韓国軍兵士の遺骨発掘作業中に同時に発見したものだ。中国軍は1950年10月に鴨緑江を渡って韓半島に入り、北朝鮮軍と共に国連軍と戦闘を行った。参戦した兵士は約240万人で、戦死者は20万人ほどと推定されている。
北京=李伐飡(イ・ボルチャン)特派員