「6・25戦争(韓国戦争)で民間人の家族が韓国軍兵士や警察に虐殺された」として過去5年間に真相解明が申請された事件を「真実・和解のための歴史整理委員会」が確認したところ、受理された案件のうち392件は朝鮮人民軍や左翼活動家などの犯行だったことが26日までに分かった。2020年12月に発足した第2期委員会は来月に活動を終了する。
【図表】拉致判定後も韓国軍・警察による虐殺として申請された事例
この5年間に受理された事件のうち、全羅南道霊岩や潭陽、全羅北道高敞や井邑、慶尚南道咸陽などで「韓国軍と警察により民間人の家族が殺害された」と申請された事件の一部を委員会が確認したところ、実際は朝鮮人民軍や左翼勢力など敵対勢力により殺害されていた。これは委員会が野党・国民の力のコ・ドンジン議員事務所に提出した資料で分かった。調査官が過去の記録と参考人の証言を比較して確認した結果、委員会は殺害した犯人を「韓国軍・警察」から「敵対勢力」と訂正した。訂正については申請人からも同意を得ているという。逆に犯人が「敵対勢力」から「韓国軍・警察」に変更されたケースは136件だった。
慶尚南道昌原のA氏は2021年7月「父が1950年7月に馬山市内の自宅で私服の人物に連行され行方不明になった」と委員会に申告した。「国民報道連盟事件」に巻き込まれ死亡したと主張したのだ。国民報道連盟とは李承晩(イ・スンマン)政権が1949年に左翼活動家を転向させる目的で設置した団体だ。その後50年に6・25戦争が起こり、韓国軍と警察は慶尚北道永川や聞慶、慶尚南道晋州など全国で「左翼勢力に協力する懸念がある」との理由で報道連盟員を粛清した。
この問題について調査官が韓国政府の記録を確認したところ、2017年4月にこの男性の家族が韓国統一部(省に相当)の「6・25戦争北朝鮮拉致被害者名誉回復委員会」に「父親が北朝鮮に拉致された」と申告していた。当時、韓国政府は現地住民など参考人の証言から「A氏の父は北朝鮮に拉致された可能性がある」と確認し「父を北朝鮮による拉致被害者と決定する」と家族に通知した。ところがA氏はその後、真実和解委員会に「韓国軍・警察による虐殺被害者」として再び申請したのだ。