今回の試合で、私は自由民主主義体制が持つ品格と余裕を改めて確認した。空港では市民団体が北朝鮮選手団を歓迎し、競技場では市民合同応援団が南北の選手たちに声援を送った。相手が北朝鮮だからといって敵意を露にすることはなかった。スポーツそのものを尊重し、選手たちを丁重に扱う姿から大韓民国社会の開放性と自信がはっきりと表れていた。
一方、北朝鮮選手団の様子は痛ましいものだった。入国手続きの際、自分たちを歓迎する韓国国民に目もくれず、無表情で宿泊施設に移動した。試合の前後、北朝鮮の監督は沈黙と硬直した態度を貫き、合同応援団に対して「関心がない」という意思を示した。面識のない人々が手を振って応援してくれたにもかかわらず「ありがとう」という一言さえ自由に口にできない姿に、心が重くなった。
もちろん、彼ら個人を責めることはできない。北朝鮮国外での言葉や表情は単なる表現ではなく、体制の監視と評価を意識しなければならない問題だ。南側に好意的な態度を見せたという理由だけで重大な不利益を被る可能性がある。その恐怖が言動を統制し、感情を抑え込んだのだろう。結局、彼らの行動は体制への忠誠というより、生存のための選択に近いものだった。自由に笑い、挨拶し、感謝することさえ制約される現実は、北朝鮮体制の限界だ。
「ネゴヒャン女子蹴球団」の監督は優勝後の記者会見で、韓国メディアが「北側の女子サッカー」と表現したことに「国名を正しく呼べ」と抗議し、硬い表情で会見場を後にした。これは当局の事前の指示か、監督の過剰な忠誠心から生じた突発的な行動と見られる。北朝鮮は正常な国家になると言っているが、正常な国家になるにはまだ程遠いと私は思う。
今回の試合はサッカー以上の意味を残した。私たちは同じ競技場で時間を共にしたが、互いに全く異なる体制で生きる二つの集団の姿を見た。一方は相手に向かって自由に拍手や声援を送ることができる社会であり、もう一方は歓待の前でも心を隠し、感情を抑えなければならない社会だ。その場面を通して、私たちは北朝鮮体制の素顔と自由民主主義の価値を改めて噛みしめることになる。
リ・イルギュ元キューバ駐在北朝鮮大使館政治参事
※ 本記事はAIで翻訳されています。