▲スポーツ部=チャン・ミンソク記者

 1997年9月28日のことは忘れられない。当時高校3年生だった記者は、あと2カ月余りに迫った大学修学能力試験(日本の大学入試センター試験に相当)に備え自習するため日曜日に学校に行った。午後2時、私たちは一斉に本を閉じて教室の片隅にあるテレビのスイッチを入れた。東京で行われていたサッカー・ワールドカップ(W杯)フランス大会アジア最終予選、韓国対日本戦を見るためだ。

 「富士山が崩れつつあります!」。0-1でリードされていた韓国が徐正源(ソ・ジョンウォン)と李敏成(イ・ミンソン)の連続ゴールで劇的な逆転を成し遂げると、中継アナウンサーが興奮して叫んだ。私たちは抱き合って泣いた。絶対に勝たなければならない相手である日本を破ったことに対する喜びの涙だった。選手たちが「勝てなかったら帰らない」と悲壮な覚悟で臨んだこの試合は「東京大捷(東京での大勝)」と呼ばれた。

 2008年北京五輪の野球準決勝で、イ・スンヨプが日本を相手に逆転2ランを打った時、解説者は「今、打球が独島(日本名:竹島)を越えたようだ」と言った。歴史問題で複雑に絡み合っている韓国と日本のスポーツ対決は、このように単なる運動競技ではなく、国家的使命感を持って臨む一種の代理戦争のようなものだった。

 先月18日も忘れられない日になった。平昌冬季五輪スピードスケート会場の江陵オーバルで五輪の歴史を飾る名場面が生まれた。女子500メートルで五輪3大会連続金メダルに挑んだ李相花(イ・サンファ)が銀メダルに終わると、突然涙をこぼした。涙が止まらなくなった李相花は新しい金メダリスト小平奈緒=日本=の方へ近づいていき、抱きしめられた。韓国語で「チャレッソ(よくやった)」と李相花の肩をポンポンとたたいた小平は、「今もあなたを尊敬している」と笑った。李相花も「あなたのことを本当に誇りに思う」と答えた。

 2人の温かいハグを見て、観客席のファンの多くも感動の涙をぬぐった。小平は「日本と韓国の間には国境があるが、これを越えて友情のレースをしたという事実は多くの方々の心を動かしたようだ」と言った。

 カーリング女子の韓日戦も大きな話題になった。日本最大のタマネギ生産地・北海道北見市出身の美しいスキップ(司令塔)藤澤五月と、ニンニク生産地・慶尚北道義城郡で実力を磨いた「メガネ先輩」キム・ウンジョンは準決勝でそれぞれのチームを率い、血がにじむ勝負を繰り広げた。勝負が8-7で韓国勝利に終わると、藤澤は「自信に満ちたキム・ウンジョンのことを尊敬している」と言った。キム・ウンジョンも「藤澤はすべてにおいて準備ができているスキップだ」と相手をたたえ合った。

 韓日の若いスポーツ選手たちがベストを尽くして競い合った後、相手を認め、尊重する姿に、両国のファンは惜しみない拍手を送った。生きるか死ぬかの意気込みで試合をしていたこれまでとは違い、心温まる韓日戦にファンは「政治では作り出せないスポーツによる友情」と称賛している。平昌で感動を与えてくれた「新・韓日戦」が、こじれた韓日関係の解決のヒントになるのではないだろうか。

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