靖国放火中国人、犯行時刻はなぜ「12月26日午前4時」だったのか

 劉・元被告は法廷で、自身の家族のことや靖国神社放火時の政治状況、犯行日時・時刻の象徴的な意味などを理由に、引き渡しに該当しない「政治的犯罪」だと主張した。

 劉・元被告は1974年に中国・上海で生まれ、幼いころから祖母と一緒に暮らしていたという。祖母は85年に死去する直前、元被告に自身の過去について語った。祖母は平壌出身で、大邱やソウルなどで暮らし、42年に木浦港から中国に連れて来られ、従軍慰安婦になったという話だった。第二次世界大戦後も中国にとどまって元被告の祖父となる男性と出会い、元被告の母が生まれたとのことだ。祖母はまた、母方の曽祖父が40年代初めにソウルのある中学校で教師をしていた時にハングル文字を隠れて教えたとして西大門刑務所で日本の拷問を受けて死亡したとも言った。

 劉・元被告は自身の祖父も抗日新四軍団長で抗日闘争をして戦死、中国政府から「革命烈士」の称号を受けたと主張した。このため、劉・元被告は日ごろからインターネット上で日本の軍国主義を批判し、05年にも靖国神社を訪れて日本帝国主義打倒のスローガンを叫んだと言った。06年に小泉首相が靖国神社を参拝した際もデモをしたとされる。

 中国で英語塾講師や心理治療師をしていた劉・元被告は、11年3月の東日本巨大地震発生を受けて同年10月、被災者に対し心理療法のボランティアをするため日本に行った。そして同年12月の韓日首脳会談で、当時の李明博(イ・ミョンバク)大統領が慰安婦問題への反省・解決を促したのにもかかわらず、野田佳彦首相が話し合い自体を拒否し、ソウルにある日本大使館前の慰安婦少女像を撤去するよう要求するのを見たという。このため、A級戦犯14人を神としてまつっているとされる靖国神社に火をつけ、歴史を否定する日本政府に警告し反省・謝罪を促すことにしたと主張した。

ソン・ウォンヒョン記者
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