【寄稿】民族主義的だが愛国的ではない韓国人

 これまで軍隊や警察、情報当局のような政府機関が国民に振るってきた暴力こそが、中壮年層以上の韓国人たちの民族主義的だが愛国的でない理由について物語っている。彼らは韓国に勝ってほしいと願いながらもなぜ韓国を愛さないのか、英語さえできるなら海外に移住したいとなぜ思うのかだ。多くの人々が、国が自分を愛しておらず、尊重もしていないという経験をした。

 だから、韓国社会で育った中壮年の政治家たちは、ハンマーで国会議事堂のドアを壊し、反対する党ともみ合いになることが悪いことだと思っていない恐れがある。彼らは、かえってハンマーを振りかざし、反対する党ともみ合いになることが有権者たちの目に素晴らしく映るものと思っているのかもしれない。自分の激しい行動が自分の情熱的な真の姿を表現するし、国民もこれを認めてくれるはずだと思うのかもしれない。

 政治は政策ではなく、感情と関係が深いという単純な政治力学が、ここから生まれる。民主主義と法治を担当する機関が民主社会の柱なら、その中心には有権者一人一人の感情がある。有権者が持つ思い、有権者が受けた印象、有権者が感じる需要と良しあしの感情が混じり合って票を決める。票こそが民主主義の神秘であり神聖な場所なのだ。この聖所に入って票を得るのが政治家の目標だ。2012年の大統領選挙の際に行われたネット上での世論操作や、昨年明るみに出たドルイドキングことキム・ドンウォン被告による世論操作事件が深刻な犯罪と言われる理由が、ここにある。民主社会では、こうした行いは反逆なのだ。

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