【寄稿】民族主義的だが愛国的ではない韓国人

 政治家の熱情は有権者の感情に訴え掛ける。自分が支持する政党の闘士たちが反対する党の悪党たちを阻もうとドアに押し付けられている様子を見て、有権者たちは自分の地方区の議員が人文学教授のように一歩離れた場所で傍観するよりは、かえって自由のために闘う戦列の先頭にいてくれることを望むこともあるだろう。

 しかし、私は欧州人として感情は必ず理性の統制を受けなければならないと信じて育ってきた。私はカッとする政治家、物を投げて怒鳴る政治家を信頼することができない。私の目には、こうした行動は品位を投げ捨てる行動のほかの何物でもない。私が育んできた欧州人の脳は、こうした人々は指導者になってはいけないと叫んでいる。私の祖父と父、そしてこの方々の全ての友人は、理性が政治を治めることができなかったために生じた2度の世界大戦で争った人々だ。

 興味深いのは、韓国の若者たちにはこの二つの態度が入り混じっているという点だ。彼らは高等教育を受けた親の下で育った世代だ。もう教師が生徒を殴らない学校で学んだ世代、以前よりは改善された軍隊と職場を経験した世代だ。彼らの祖国が今では個人を尊重する民主主義国家になったために可能となったのだ。韓国の若い世代は、他人がハンマーを振り回したがる理由をよく理解しているが、それと同時にそうした行為は尊重できるものではないということも、よくわきまえている。彼らは「理性的な言葉や常識で他人を説得することができない人は、初めから政治家になるべきではない」と考えるだろう。

元ソウル外信記者クラブ会長マイケル・ブリーン=『韓国、韓国人』著者

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