第一に、先に記したとおり、日本の軍隊で服務したというのは対敵協力の証拠ではない。満州帝国軍は韓国に侵攻せず、ペク将軍も自国民に銃口を向けなかった。間島特設隊は主に中国共産党ゲリラを追い、ペク将軍は敵をほとんど見ることもできず、実際に戦闘を経験することもなかった-と回顧した。
第二に、今の反対派が悪用している対敵協力の基準は、韓国政府自ら立てた原則にも背く。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権で作った日帝強占下強制動員被害真相究明委員会は、第2次世界大戦時に連合軍捕虜収容所で日本軍の看守として働き、過酷行為に及んだという理由で戦犯に分類された朝鮮人83人を赦免した。彼らは身分がそうであっただけで、実際に戦犯と見なせる行為はしなかった、というのが理由だった。ならばペク将軍にも同じ基準を適用すべきだ。間島特設隊に所属していただけで、親日附逆(反逆)行為はしなかったのだから。何をしたかではなく、もともとの身分がどうであったかを取り上げて処罰するのは、北朝鮮で起きていることだ。民主国家である韓国ではあり得ない。
第三に、ペク将軍の反対勢力は「国家とは何か」をあらためて考えさせる。彼らは、運動場を移し替えて論争を繰り広げる。ちょっと考えてみよう。国とは、われわれが自らに聞かせる物語だ。自分たちのアイデンティティーを確立し、価値を打ち立て、愛国心を呼び起こす経験の総体だ。ペク将軍が幼かったころ、韓国はまだ生まれもしておらず、25歳のときに解放されたが、すぐに二つに分断された。後に彼は命を懸けてその半分を守り、その時点で韓国はやっと建国18カ月にすぎなかった。