時計を過去に戻してみよう。2017年に文在寅(ムン・ジェイン)大統領が「5・18発砲真相解明」を掲げ、国会では「民主化運動真相解明特別法」が成立した。2019年春には「米国501情報団(米軍の秘密情報組織)に所属する軍事情報官」だったと名乗るキム某氏が登場した。「1980年5月に当時の全斗煥(チョン・ドゥファン)戒厳司令官が光州を訪れ、鎮圧命令を下したとする報告書を作成し、米国大統領にもこれが提出された」と主張した。JTBCテレビがこれを繰り返し報じ、キム氏は国会でも証言した。「全斗煥が現場で陣頭指揮」という爆弾発言とも言える内容だった。1980年の記録を英語に訳し、資料を分析したある人物がその後「確認したところ、キム氏は軍事情報官ではなかった」と主張し反論を始め、その後も再反論が続いた。しかし大衆は「全斗煥が現場で指揮した」という話をすでに既成事実化していた。発生から40年が過ぎ、「光州」は再び熱くなった。
古今東西、ソウル・光州・釜山に関係なく人間が生きる社会はどこにでも「玉にきず」がある。光州民主化運動関連の3団体が光復会、在郷軍人会などと同じ地位の「公法団体」に昇格したからこそ、この「きず」の解明と修復は今後一層強く求められるだろう。だからこそあえて質問しなければならない。「ムン・フンシクを有功者に、あるいは会長に仕立てた黒幕は誰だったのか」と。
貝の口を無理にこじ開けようとすると、貝はその口をもっと強く閉じようとする。5月の光州を否定し、光州市民を侮辱すれば刃(やいば)を当てることを自分から難しくするということだ。光州の最後の指名手配犯だったユン・ハンボン氏は帰国後の1994年には5・18記念財団発足の中心的な役割を果たしたが、その後はいかなる地位にも就かなかった。彼が書いた設立宣言には「5月は名誉ではなく軛(くびき)であり、債権でも利権でもなく債務であり、犠牲であり奉仕です。5月は光州のものでも、拘束者、負傷者、遺族のものでもなく祖国のものです」と書いてある。最初に来るのは国民からの認定と声援であり、その次は当事者の勇気だ。
パク・ウンジュ(エディター)