数年前、日本の著名な料理人の星則光氏にインタビューしたときのことだ。日本を代表する料理人として1970年代に和食の海外プロモーションに参加したという同氏に、和食を世界に広めることができた秘訣(ひけつ)を尋ねると、意外な答えが返ってきた。和食グローバル化の一番の立役者はキッコーマンのしょうゆだというのだ。キッコーマンのとっくり形の卓上しょうゆ差しに入ったしょうゆを小皿に注ぎ、はしですしを食べるという食事スタイルが和食のイメージとして根付いたという話だった。それを聞いて、日本だけでなく欧州の和食レストランにも必ず置いてある「赤いキャップのしょうゆ差し」を思い出した。

 先週、ある日本の工業デザイナーが亡くなったというニュースが米紙ニューヨーク・タイムズや英BBCなどの海外大手メディアで報じられた。その人こそ、和食グローバル化の立役者だというキッコーマン卓上しょうゆ差しをデザインした栄久庵憲司氏(1929-2015)だ。1945年の広島への原爆投下で妹を亡くし、翌年に被爆の後遺症を患っていた父親まで亡くした栄久庵氏は、廃墟の中でデザイナーになろうと決めた。日本人の新たな生活のため、形ある何かを生み出したいと願ったという。

 1961年にデザインした出世作、卓上しょうゆ差しは母がしょうゆを注ぐたびに液垂れしていたことを思い出しながら制作した。赤いキャップは、60年代の高度経済成長期に入った日本の明るい未来を象徴している。このデザインは54年がたった今も変わっていない。米国のニューヨーク近代美術館(MoMA)は、これを日本的なデザインの典型として所蔵している。

 栄久庵氏の死去が海外で報じられたことに、うらやましいという思いを隠せなかった。韓国政府は2000年代後半から「韓国料理のグローバル化」「デザイン韓流」を叫んでいるが、韓国のコチュジャン(唐辛子みそ)容器のデザイナーが亡くなっても海外で報じられることはない。そもそも、報じることができないのだ。

 キッコーマンは1950-60年代に米国進出を本格化させ、レストランに置く卓上しょうゆ差しのデザインを専門デザイナーの栄久庵氏に依頼し、その記録を残した。もし61年にキッコーマンがデザイナーの記録を残していなかったら、54年後に外国のメディアが「キッコーマン卓上しょうゆ差しデザイナーが死去」などと報じることはできなかっただろう。デザインを財産と考え、体系的に管理してきたキッコーマンの先見の明を示している。

 数年前「韓国ならではのデザイン」というコーナーを連載し、韓国のロングセラー商品のパッケージデザインを取材したときのことをふと思い出した。「韓国の辛い味」のイメージを作った即席めん「辛ラーメン」のパッケージの「辛」という字を書いた書道家、「国民的ボールペン」と呼ばれる「モナミ」を手掛けたデザイナーに関する記録は、残念ながら残っていなかった。

 栄久庵氏の他界は「和食」と「日本のデザイン」をあらためて世界の人々に知らせる機会となった。料理とデザインを文化的な視点で同時に世界の舞台に出した日本の底力だ。外国のメディアが「韓国のコチュジャン容器デザイナー」のことや韓国料理の世界的人気の秘訣を報じる日は、いつになるのだろうか。

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